それは「愛」ではないかもしれない

それは「愛」ではないかもしれない

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

あなたには、とても好きな人はいますか?
とっても「愛している」人はいるでしょうか。

見も蓋もないことを言ってしまいますが、この三次元に「愛」は存在しません。

「そんなことない!この愛は本物よ!」と思われた方もいらっしゃるでしょうね。

ですが、それは幻想です。妄想なのです。

そのことについて、詳しく説明していきますね。
 
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆三次元って何ですか?
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
それではまず、「三次元とは何か?」というところから
考えていきましょう。

人によって解釈が違うかもしれないのですが、私が言う「三次元」とは、
私たちが物質の身体を持って生きる場所です。
人間として、すべての生活を行う場所です。

朝起きて、窓を開けること。
顔を洗って、ご飯を食べること。
トイレにいって、仕事に行くこと。
帰ってから、友人と映画を見に行ったり、瞑想したりする場所。

そこには喜怒哀楽の感情のすべてがあり、
親子や友人、恋人や夫婦など、恋愛感情や親戚関係なども含めた
すべての人間関係があります。

そして、ブッダの言う「生老病死」に苦しむ世界です。

スピリチュアルな学びも大切なのですが、
私たちがこの世界で生まれたからには、「三次元をしっかり生きること」は
必須科目です。

今の人生を生きている限りは、避けたり、逃げたりすることができない
次元なのですね。

そして、この三次元で力を持っているのは「物質」。
それから、「エゴ様」です。
 
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆「愛」とまちがえてしまうもの
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
この三次元では、それぞれの人たちの「エゴ様」が大暴れして、
偽りの「愛」を大量生産しています。

相手から「愛」が欲しいし、
相手は「愛」を与えてくれているつもりなのに
いつになっても、どうしても満足感が得られない。

こんなとき、よく考えてみてください。

それは、「支配」ではないですか?
「執着」であり、「依存」ではないですか?
「独占」「情」などではありませんか?

これも三次元での大切な学びなので、悪いといっているわけではないのです。

ただ、一度確かめてみてください。

あなたが受け取っているもの、相手に与えているものは、本当に「愛」でしょうか?

「子供を愛さない母親なんていない」

よく聞く言葉ですよね。

だけど、実際は「子供を愛せない」「どうしてもかわいく思えない」という
お母さんも多いのです。

愛することは一種の能力です。
初めから持っている人もいますし、あまり開花していない人もいます。

ですが必ず、私たちは心の中に「愛の種」を持っていて
育ててもらうのを待っているんです。

最高の恋人、最高の配偶者、最高の子供、最高の友人・・
私たちが素敵な出会いを求めているのは、無意識にこの「愛の種」を
育てたいと考えているからなのでしょう。

ですが、三次元には「エゴ様」がいるので
さまざまな「偽者」を仕掛けてきます。

「運命の相手」だと思える人を見つけたら、自分や相手の気持ちを
よーーーく観察してください。

「運命の相手」との間に葛藤が起きる場合は、「愛」ではないでしょう。
それは、あなたと出会うことで魂を高めていく「運命の相手」かもしれませんが
あくまでも「学びの仲間」です。
本当の「愛」を見つけることは、できていないと思います。

だけど、それでいいのです。
自分が「愛の種」を育てられていないな、と気づくことが大切なのです。

子供を愛せない自分、
両親に依存してしまう自分、
夫に独占されている自分、
友人をコントロールしようとしている自分、
本当はしたくないことを、情に流されてしている自分・・

そんな未熟な自分も、認めてあげることです。
何回でも、何十回でも「未熟な自分を許します」と
言ってあげてください。

自分に言葉をかけることを続けていると、あなたの中にある
「愛の種」が育ち始めることでしょう。

この三次元でできることは、まずは「三次元には愛はない」と理解すること。
そして、愛のない三次元をしっかりと生きることで、
ハートの奥にある「愛の種」を少しずつ育てていくことです。
 
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆三次元も悪くない
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

三次元も悪くない
 
私の両親は、昔はとても仲が悪かったのです。

父はいつも怒鳴り散らしているし、母はそれに我慢して、耐えて、
盲目的に従っているような感じでした。

私はどうして二人が離婚しないのか、ずっと不思議でした。

だけど亡くなる前、身体が不自由になった父を世話している母は
言いたいことを溜めずに言うようになりました。
そして、何故か生き生きとしてきたんです。

そうなって初めて、私たちは3人で暖かい時間を過ごせるようになりました。
これは「愛」ではなく「情」でしたが、「情も悪くないな・・」と思える時間でした。

家族って、どれだけ仲違いしていても、やっぱり繋がっているんです。
父と母の遺伝子は私へと受けつがれ、そして子供たちへと繋がっていく・・

そこには「愛」ではないけれど、何か大切なエネルギーが流れている気がします。

三次元も悪くない。

今では、そう思っています。
 
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆共依存には気をつけて
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
また、「愛」と勘違いしやすいものの1つに、「依存」があります。

お互いに依存してしまった状態を「共依存」というのですが、
これはとっても、「愛」と間違えやすいです。

DVで苦しんでいる女性が、どうしても男性から離れられない・・
「この人を助けてあげられるのは、私しかいない」
そう思ってしまうのですね。

そして、相手の男性も逃げた女性に
「本当に愛しているから戻ってくれ」と
泣きながら、悲痛に懇願するのです。

だけどおそらく、彼らは相手がいなくなれば、また別の誰かを
見つけることでしょう。

「彼にとって特別な私」「相手を見捨てない、善人の私」という意識は、
エゴ様が演じさせているのですよね。
本当のあなた自身、あなたの魂が求めていることではないんです。

もし、あなたが「この人には私しかいない」と思っている相手がいるとしたら、
それはおそらく、「愛」ではなく「共依存」でしょう。

「共依存」はお互いに居心地のいい、何らかのメリットがある関係で起こります。
だから、今すぐ無理にやめる必要はありません。

ですが、自分や相手の心をよーく見つめて、「何か違うな・・」と思ったら・・
それは「愛」ではないことに気づくと思います。

無理にやめようとしなくても、地道に続けているうちに、
状況は自然と変わってくることでしょう。

そして実は「共依存」とは、DVなどの極端なケースではなくても、
日常的に普通に存在しているものです。

「本当にお父さんは私がいないとダメなんだから!」
「いくつになっても、息子の部屋を片付けるのは私なんだから!」
「育ててもらっているくせに、我侭を言うんじゃない!」

こんな「エゴ様」の思いに振り回されないように、いつでもあなたの気持ちを
確認してみてくださいね。