私、という概念を超えたら

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

最近の脳理論がすごいということで、何冊かそれについての本を読んだのですが
脳みそがひっくり返るくらい驚きました~。

前もこんなことを書いたのですが、今回もびっくりですよ。

難しすぎると読みたくないだろうし・・・でも、読んでくれる人もいるかもしれないし。
そんな葛藤を一月ほど繰り返していたのですが、書くことにしました!

実はまだ完全に自分の中で消化しきれていない部分もあるのですが
それでも今、どーしてもお伝えしたいのです。

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 ◆現実、それは・・・
 
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現実は

まず、理屈から。

五感から脳に入ってくる情報は、毎秒1100万ビット。
ビットというのはその単位です。
その中で、私たちが意識しているものはどのくらいだと思いますか。

実験結果を見ると、多くてたったの40ビット。
普段なら5ビット程度。
つまり、1100万ぶんの5しかないんです。

私たちの目が、耳が、花が、皮膚が感じた情報は
100万分の一も意識には到達しないんですね。
届かなかった情報は捨てられたり、無意識の活動に使用されたりします。

ちょっと前にも書いたのですが
私たちの行動の大半は無意識に行われているものなんです。

心理学の勉強をはじめた際に、たとえ話として
意識と無意識の量の違いについて聞きました。
氷山の一角、という言葉があります。
水の上にあるのはほんの少し、大半は下にある。
上が意識、下が無意識なんです。
この比率について数字が出ていたので、それはどうやって計るものなのかと
疑問に思っていたのですが、答えがここにありました。

さて、私たちは1100万ビットぶんの5ビット程度の情報を、現実だと認識しています。
ほとんどの情報を捨てているのに、その部分だけを見て現実である、と思っている。

でも、これって本当に現実だろうか、と思うのです。
「この世は幻である」は言いえて妙な気がしちゃうんですよね。

でもね、いいんですよ、5ビットで。
入ってくる1100万ビットの情報を全て意識していたら、
多すぎて理解できなくなってしまいます。
自分に必要な情報だけを、脳が選別してくれているんです。

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 ◆ほとんど見ていない私たち
 
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もう1つ衝撃。
私たちの目は、まっすぐ前を見ていても、左右の端がちゃんとカラーで見えていますよね。例えば私は今、パソコンに向かってタイピングをしているのですが、
視線はパソコンのこの文字の上にあるにも関わらず、右の真横にある壁が白いということや、その横の食器棚が茶色いのも分かります。
左側には大好きなベージュのアラジンのストーブがあります。

でも、実は色を感じる細胞は、目の真ん中の方に偏っていて
周囲にはないんですよ!
ホントは白黒のはずなんです。

見えたものを正確に知覚していれば、パソコンの画面とその周り以外は
白黒で見えているはずなんですよね。

でも、私たちは周辺もちゃんとカラーで見ています。

それは脳が情報を調整しているんですって。
白黒をカラーに見せるという嘘をついてくれているんです。
白黒がカラーに見えるのは、脳のおかげなんです。

ついでに書きますが
視覚を司る場所である後頭部の大脳皮質の部分にある第一視覚野が網膜から受け取っている情報は、たった3%だそうです。

網膜を通して、私たちの目の奥の視神経が見ている情報を100%としたら、
私たちはその3%しか知覚できていない。
あとの97%は無意識に使われています。

でもね、実はその3%ですら、私たちってほとんど見てはいないんです。
いますぐぱっと、一万円札のデザインを描けますか。
昨日見た友達の髪型や服を完璧に思い出せますか?

私にとってはかなり衝撃だったこの情報。
じゃ、私が見ているはずのものっていったい何??

この目で見たものしか信じません、という人もいます。
聞いた話や、他人の意見に惑わされず自分を信じること。
これって大正解だと思います。
でもね、自分が見たはずのものは、実は脳が作り上げた幻なんですよね。

私が現実だと、これが世界だと思っているもののほとんどは
脳が解釈したものなんです。

現実逃避というものは、実は脳が作り出した幻からの逃避であって
そもそも私たちは、現実を現実として感じることはできないため
常に逃避しちゃっている状態になっているんですよね・・・。

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 ◆自由意志はここにあるのか
 
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自由意志に関して、こんな実験があります。
脳波をチェックできるようにした人に、いいタイミングでボタンを押してもらいます。
すると、本当ならば脳波が動き、そこから筋肉を動かす指令がでるはずなんです。

でも、実際は・・・。

筋肉を動かす指令が先にでて、それからボタンを押そうという能派が出るんだそうです。

意識が先に動くのではなく、無意識が何かを決定し、それにつられて
意識が動くんですよ。
それにすら私たちは気づかず、自分の意志で決定したと思っている。

気付かずにとは言いつつも、実は脳が操作しているんです。
私たちは、自由意志があって体が動くのだと錯覚しているに過ぎないのです。

私たちは、基本的に無意識で動いている。
好きに行動していると思っている時さえも、無意識からコントロールされているんです。

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 ◆私の存在は本物?
 
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ちょっと難しい話になりますが・・・
3,000年前の人間には「意識」という概念はありませんでした。
古代ギリシャの「イーリアス」や「オデュッセイア」を読むと、
内なる声に従って行動する、人形のような人たちが描かれています。
当たり前のように感じている意識」と「私」という概念は、実はごく最近になって作られたものだったのです。

研究によると、「鏡」の発達が「意識」を進歩させたらしいのです。
鏡を見ることにより、他人から見られる自分を意識するようになったので
他人と自分を区別するという意識が生まれてきたのです。

すぐには信じられない話でした。

ただただ、内なる声に従って生きていた人たちには
迷いも悩みも、決断も必要なかった。
法律も道徳も行動規範さえも。

意識が生まれたからこそ、私たちは何かを判断し、行動しなければならなくなったため
法律や道徳、そしてモーゼの十戒などが必要とされるようになったのです。

そして「意識=私」の時代へと突入します。
私の好み、意見、感情。
私の痛み、利益、迷い…。
それらが、私という存在を感じさせてくれるものなのです。

「私」はいったい誰で、何をすべきなのか。

このようなアイデンティティを求める質問は、それが作られたものだからこそ
必要になってくるものであり、個人的に作り上げることもできます。

例えば、「私は病気だ」と私と病気をイコールにしてしまうこともできれば、
「私は○○の能力がある」と私と能力をイコールにしてしまうこともできる。
「私は我が強い」と私とエゴ様をイコールにしてしまうことも可能です。

でも、それらは全部幻。
ここで登場、イチゴ大福。
あなたはあくまでもイチゴであって、皮やあんこではありません。
確かに必要だけれど、イチゴではないのです。

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 ◆今までと、これからと
 
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今までとこれからと

まとめに突入します。

3000年以前の人間には「意識」がなく、内なる声に従って動いていた。

それは一人の人間の成長過程で例えるならば、生まれてから3才までにあたります。
以前、3フェーズ理論というものをご紹介しましたね。
それで言うと、第1フェーズにあたります。

意識が生まれ、アイデンティティを主張するようになり、「私」が存在するようになった。

それは人間の成長過程で言うと、3才から6才くらいまでかな。

そして研究によると、紀元後500年ごろから約500年間にわたって、
また「意識」というものが消えた時代があったそうです。

それは、思春期の前までにあたります。

それから再び「意識」「私」の時代になり、
個人の自由、意見、気持ちを認めてゆく時期が20世紀までとなりました。

それがちょうど思春期にあたります。
ここまでが、3フェーズ理論で言うと、第2フェーズにあたります。

そして今、私たちは次の時代を生きようとしています。
第3フェーズに突入したのです。

ここからの文章では、「私」と「自分」を明確に使い分けていきます。

「私」は、自意識を持ちエゴ様を持つ私、という意味で使っています。
「自分」という言葉は、○○○○という人の体も意識も、そして無意識や魂さえも含む存在を意味しているのです。

前半で脳のことを少し書きましたが、分かったこととしては
この現実は脳が作り出す幻だということ
自分をうまくコントロールするというのは難しいということ。
そして、自分が自分を動かせると思ったら大間違いだということなんです。

私たちは、自分自身を思うように動かせる主人ではないんです。

あれこれ思う通りにいかないのは、ある意味仕方がないのです。
自分が、私の思い通りにならないのは、自分を動かしているのは私ではないからです。
第2フェーズの時代には、「私」が自分の主人として君臨しようとしました。
思い通りの自分を作り、いろんなことをやってみようと思い、実際に行いました。
これは、自分が望む通りの自分や未来を作るためです。

しかし、無駄な努力です。
自分は自分で動かしているわけではないのですから。

これからの時代を生きる私たちが進む道は、
私すべてを超えたすごい存在とのつながりを感じ、それを大切にしながら
自分の思う道を進む。

それは、ユニークな私という意識存在を持ちながらも、
「私」を越えた大いなる何者かにひれ伏し、私を手放して存在している状態になります。

それは、恐怖ではなく、愛をベースにしたもの。
辛いことも受け止め、大切にする生き方なのです。
お気楽、ふんわり、執着なし。
これがその生き方です。