あいのひと

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

脳溢血

今まで私の父について話題にしたことが何度かありましたが、今日も父ネタです。

知らない方のためにまずは少し説明を。
私の父は数年前に脳溢血で倒れたのですが、リハビリを頑張ってかなりの回復をとげました。
しかし、最近また少し具合が良くないのです。

昨年は、私が地元に戻る時には杖があれば数百メートルくらいは歩いて見送ってくれました。
でも、先日実家に訪れたときには、起き上がるのが精いっぱいの状態に・・・。

私の父はかなり暴れん坊で迷惑な所がある人です。
仕事は本当によくできたのですが、自己中で、人の感情やそれぞれの事情などが
一切理解できない人なのです。
起きている時間の8割は怒っていて、
いつも母を怒鳴っていました。

普通はあんな扱いを受ければ、恨みを持ったりうつになったりするでしょう。
でも、母は大丈夫なのです。
父のことだけを考え、父のために生きてきた人ですから
何をされても少しへこむだけで、父のためだけに生きてきました。
母は、私の母ではなく、父の妻であり召使いなのです。
それが好きで、やり通している人です。

私は思春期の頃、父と大喧嘩をしていたことがあります。
人の心を理解しようとせず、自分の思いだけを押し付けてくるその態度に
いつも傷つけられていました。
結婚してからも、ことあるごとに私の思いを無視し、お見舞金をくれる父が心から嫌いでした。

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 ◆もう死にたい・・・
 
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この間実家に帰った時、母がいろんな話をしていました。
父の元気がないので、母はとてもへこんでいます。
父がいずれいなくなってしまうのだろうことが、頭では分かっていて
準備もしているけれど、やはり気持ちがついていかないようです。
さみしくてやる気が起こらないようです。

話をしていたら

父が元気だったころ、病気で後遺症が残っている人を見ると
「俺はあんなふうには絶対なりたくない、ぽっくり死にたいよ」
と常々言っていたそうです。

でもそんな人が一番嫌がっていた状態になってしまっているので
「俺は死にたい、何で助けたんだ」
と、母にいつも文句を言っていたそうです。

プライド高い父のことです、不自由になったことを
どれほど辛く悔しく思っていたことか・・・。

死にたいと父が言うと言う話は聞いていましたが、
父は、私にはそう言ったことがありません。
きっと期限が悪くなると、八つ当たりの一環として
そう言うのだと思っていました。

先日も同じ話が出て、母がこう言いました。
「お父さんは、死にたいっていうのはずっと言っていた。
それと一緒に言うのが
『いずみは大丈夫。でも、2人の孫はどうにかしてやらないと。
でも、もう俺にできることはない。
だから、年金をもらって貯めてあげることしかできない。
だから自殺はしない』って。」

このように言っていたそうですが、この後半は知りませんでした。

口数が減り、怒鳴ることもできなくなってしまった父を見ながら
何とも言えない気分になりました。

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 ◆生きている意味
 
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父は不器用な人で、愛情を表現するためにお金を使う人でした。
不器用な父にとって、お金は愛を表現する手段なのでした。

父はこの数年、孫のために必死で行きたのです。
自分が絶対にイヤで耐えられないと思っていた状態を耐え、
母は父のためにひたすら生きてきた。
何を言われても何が起ころうとも、ひたすら父に仕えてきたのです。

では、私は?

私は何のために生きていたのだ、と言えるのでしょうか。

娘たちは?

自分なりに一生懸命生きてきた、と思うけれど、
両親にはかなわない、とその時に思いました。

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 ◆止まらない涙
 
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止まらない涙

以前、「三次元に愛はない」ということを書きました。
魂やスピリット、そういう次元が愛であるとしても、
エゴとともに三次元で生きる私たちには愛はない。

よく似ている、依存や独占欲、思い込みや執着などはあるけれど
それは愛とは呼べないのです。

それなのに、今回は・・・

涙があふれて止まりませんでした。

父が私と孫に向けていたものは
価値観の押しつけや呪縛、執着だと感じていました。
でも、その父を憎む気持ちも消えていて、
愛ではないけれど、それもいいと思っていました。
家族の気持ちが父に届くことはないけれど、それもよしと思っていました。
父はそういう人なのだからと。

でも、違ったんです。

人を理解するとか受容するとか、話を聞いたり、気持ちをつなげたりという
愛に近いものなんて何も持っていないのに
父は「愛の人」だったんです。

「愛」はこのように進化し、昇華するものなのですね。