藤田嗣治のスピリチュアルな世界

藤田嗣治とスピリチュアル

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

今日は、京都の国立近代美術館でしている、
藤田嗣治展を見てきました。



藤田嗣治と言えば、フランスの「カフェ」の絵が有名ですよね。
私も大好きな絵です。

今回は没後50年ということで、
史上最大規模の回顧展なのだとか。
ごく初期の作品から、 日本初公開作品などかなりの点数を見ることが出来ました。


ごく初期の作品から見ていくと、
私たちが知っている作品とは全く違う作品があります。

自分の絵を模索する中で、様々な影響を受けて、
キュービズム風のものもあり、モジリアニ風のものもあり、
こうやって「自分らしい自分の道」を探すのだなぁ、と思いました。


私たちは、晩年に藤田嗣治が到達した境地を知っています。
知っていますというのはおこがましいのですが、
どのような表現に行き着いたのかは、知っています。


でも初期の模索の時代には、本人は自分の将来を知らないのですから、
外からの影響を取り入れたり、
内側からの情熱や衝動をなんとか写し取ろうとしたり、
もがきにもがいたのでしょうね。

もがきにもがいて、
自分の内側を掘り起こして、
突き抜けたあの晩年の有名な絵に到達したのでしょう。


見ていくと初期~中期にはすでに、
・フランス
・乳白色
・きつね顔の女性
が登場します。

それらがとても大切なキーワードなのだなぁ、と感じました。


そして私は最晩年の作品に釘付けになりました。
最後の日々、藤田嗣治は何度目かの奥さんとともにフランス国籍を取り、
フランス人のキリスト教信者として過ごしました。

この時期、たくさんの宗教画を描いているのですが、

それがすごかったです。


キリスト教の持つもっとも高い波動の部分、
スピリチュアルな精神性のようなものが、そこからほとばしっていました。
私はそう感じました。

特に心を奪われたのは、
夫婦二人の信仰生活のために作られた「小箱」です。

それは愛や心の平和、信仰、スピリチュアリティ、祈り、、、
何よりも非常に高い波動の愛を私は感じました。



それは彼が自ら彫って作った木の小箱で、
全体の大きさは、高さが50センチほどです。
海賊の宝箱のような、蓋部分が丸くアーチを描いて盛り上がっていて、
蓋の上に十字の板が立っています。

その板は十字の形だったような気がするのですが、
十字架ではなく、幅がかなり広く作られていて、
表側には少女の立ち姿が描かれていて、
裏側にはキリストが描かれていました。

箱の部分も簡素な模様が彫刻されていて、
少し崩れています。
脆い木だったのかもしれません。

表面は、藤田嗣治が好んで描く少しシュールな感じの可愛い少女です。
乳白色の顔に、どこか狐を連想するような鋭い目鼻がついています。

この特徴的なシュールな子供は、
もしかしたら、、、、

スピリチュアルな使命を帯びてきたインディゴやクリスタルやレインボーチルドレンではないかな、
と私は想像しました。



藤田夫婦は長い人生の旅をして、
内なる美を表現し、
キリスト教のスピリチュアリティに行き着き、

静かな祈りの晩年を送ったのだと思います。



画家や芸術家は魂そのものを表現する仕事ですから、
その作品をたどる事で、その人の全てを感じ取ることが可能です。

それはもしかしたら、私たちの人生も同じなのではないかな、、、と私は感じました。

人生の初期(年齢は関係なく)に、自分は何者で何をするべきなのかに悩み、
外からの影響にぐらつき、
内から来る衝動や要求にふりまわされ、

一体何をするために生まれてきたのか、
自分に存在意義があるのか、
愛はどこにあるのか、、、、
迷いに迷い、悩みに悩む。

その迷い悩みの中から、迷い悩んだ分だけ「自分の道」を見つけていくのですよね。


芸術家も私たち凡人も、実は同じなのだと思います。

だとしたら、私たち凡人の作品は、

・どれだけ人を愛したか
・どれだけ丁寧に日常を生きたか
・どのような人間関係を作ったのか、

という事なのかなぁ、、と思いました。



藤田嗣治展、おすすめです。



では。