神に願うこと

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

神に願うこと

「自力・他力・共生に続いて、今日は神という存在との関係について考えました。
今回は体験談が多くなってしまい、読みにくくなっているかもしれません。

以前にも少しお話したと思うのですが
私はずっと、神には感謝のみを捧げ、願い事などはするべきではないと
そう思っていました。

まず、自分の向かうべき方向を決め
それに向かって全力疾走。
神にはそれと感謝を伝え、見守りをお願いします。

それこそが正しい神との関係である思っていました。

ストレートな言い方をすれば
神はパトロンでも自動販売機でもない。
だからこそ、あれこれ欲しいと言うのははしたないこと

そう思っていました。

でも、最近は少し考えることが違うのです。
その説明のため、もう少しお話聞いてくださいね。

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 ◆対価を必要とせずもらえるもの
 
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私の子どもがまだ小さかった頃、ご近所で
プレゼントセールスのようなものが流行ったことがあります。

1日目、街頭で何かを配布する。
そして翌日には会場で配る。
3日目、来てくださいと言われた時間に行くと
5分ほど話を聞いて何かをもらって帰る。
その翌日は10分・・・。

毎日説明時間が伸び、もらえるものも変わります。
そして一月後くらいには高額なものを購入してしまう
そういうものでした。

営業の人は親切でとても面白く、そこに行くのはとても楽しいことでした。

でも、下心なしに何か配る会社なんてありえません。
きっと買いたくなるようにマインドコントロールしていくのだろうと思い
私は行かないことにしていました。

近くにいた友達は
「買わせたいのは見え見えだけど、私は買わないし。
行けば楽しくてものももらえるから毎日行くわ」
と言っていたのです。

その言葉は私にとって強い印象を残すものでした。
私には絶対にないこと。
だって、何かが欲しいから毎日行くなんて
下品ではしたないことだと感じていたのです。

欲しいものがあれば、自力で買う。
無料でもらえるものを毎日もらいに行くなんて信じられなかったのです。

正論ですよね。
でも、友達も悪くない。
そういう営業をしている会社だと分かっているし
物をもらえばうれしいです。
気分よくなりたければ行くのもよし、です。

このエピソードを神との付き合い方に反映していたのだなと今は分かります。
努力もせず、あれこれ依頼するばかりなんて自分勝手でありえないことだと。

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 ◆能力を求めるのは?
 
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そのことが、私の中でかなり大きなブロックになっている、ということが分かったのです。

スピリチュアルな能力を求めるのは間違っている。
こんな強いブロックがありました。

スピリチュアルな世界に目覚め始めた頃
能力はあるけれど人として問題のある霊能者に多く出逢いました。

「今白い龍があなたの近くを通りました」と私を見つめながら言うとか
「1週間以内に○○に行って、お祈りして、○○して戻ってきてください」
というようなことを言われたりするとうれしくて、それに従ったこともありました。
何か言ってほしい、そう常に思っていました。

でも、能力しかない人々に振り回されるうちに
「人格のない能力は凶器である」と分かったのです。
ですから、「人が求めるべき物は何よりもまず人格である」
そう思うようになりました。

よくよく考えると、霊能力のある人に張り付いて、面白いことをして
自分には価値があると感じさせて、と思うのは
プレゼントセールスと何ら変わりません。

だからこそ、能力を求めるのはタブーとなっていました。
みんながら学んで能力を付けていくのは良くても、自分だけはNGだったのです。

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 ◆外れたブロックとその後
 
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その強いブロックがついに外れました。
外れたら、自分が能力を切望していることに気づいたのです。
喉から手が出るほど欲しい、でもそう思わないように
かなり強い力で封印をしていたようでした。

封印がとかれ、想いに素直になったら
後は必死に学ぶだけです。
現在大爆発中(笑)。

毎日学び、練習し、ついに神との関係に変化が現れました。

神は、私たちが望み、願うことを喜んでくださるのだと
分かるようになりました。

今までも、祈りは天に届き、受け止められすぐに返事が返ってきているということは感じていました。
願いもそう、ちゃんと受け止められているのです。

私たちの周りにいる神は、何の見返りもなくとも愛をくれる
高次の存在です。
私たちと違い、愛であることしかできない存在なのです。

だからこそ私たちの願いを受け止め、叶えてくれる。
私たちがどんなに自己否定をしても、深い愛で受け止めてくれる。

もし叶えたことに対する見返りを求められるのなら
それは少し違うのかもしれません。
きっぱりと離れましょう。

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 ◆叶えられること、叶えられないこと
 
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願い叶う願い、叶わない

願いを叶えてくれる、と言っても、全てそうなる訳ではありません。
どういう方向で叶うのかは、神のみぞ知ることなのです。

私たちにはエゴと願いの区別がついていないのが原因です。
心から発する願いは、その通りになりやすい気がします。
しかし、そうではないものは、その願いが発せられた根本的な理由となったものが叶う気がしています。

例えば「あの人と結婚したい」という願い。
でもその根本は「結婚をして幸せになりたい」であって
あの人でなくとも叶えるのは可能なのです。

神は「結婚して幸せになりたい」を叶えるために、
あの人との別れを与えるのかもしれません。

でも、それも愛なのです。

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 ◆私たちが神に返せるものとは
 
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愛は見返りを求めません。
だからこそ、私たちは神にお願いをします。

そして、その見返りのない無償の愛を受けるに値する自分となること
自分自身を愛せるようになること
周囲を愛せるようになること。
それが私たちが神に返すことができるものだと思います。