背景は物語を語らない

ジブリと高畑勲展

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

先日「魂の声と身体の声がケンカする時」の文章で、
高畑勲さんのことを書きました。

そこでちょっと間違えたのですが、
高畑さんは亡くなられたのですね。

書きながら違和感があったのに、ちゃんと調べずに書いてしまいました。
きっとあちらの世界で、次の人生の準備をされていることでしょう。



今日は高畑勲展の続きです。




何かをする時に、個人でするのが好き・得意な人と、
グループでするのが好き・得意な人がいますよね。

個人プレーが好き・得意か、
団体戦が好き・得意か、の違いです。


高畑さんは典型的な団体戦タイプですよね。
アニメーションのような、一人で完成させることが不可能なことにチャレンジしているのですから、
間違いなくグループで仕事をするのが好き・得意です。

そして彼は「指揮者・コンダクター」です。
どのような作品にしたいのか、という強い「ビジョン」を持ち、
それを語り、計画し、どうすれば望むものが作れるのか探求し、
それに必要な人員を引き寄せ、奮い立たせ、魅了し、
膨大なエネルギーを注いでいく。

「アーティスト」であり「職人」でもあります。
「アーキタイプ」というのですが、そういう型・タイプの強いエネルギーを感じます。




ところで、高畑さんは背景にも非常にエネルギーを注いだ方です。
ご本人は全く描かない人なのに、
背景への思い入れは非常に強いものがありました。


ものすごい技術を持ち、半端ではない表現力を持ち、
ため息をつくしかないような高い完成度の背景を完成させました。

そういう、文句のつけどころのない圧倒的に美しい背景をたくさん見せてもらいました。



私は美術展に行くと、気に入ったポストカードを購入して、
ファイルに入れて楽しんでいます。
誰かにプレゼントすることを考えて、何枚も同じカードを購入したりします。

今回も「何か買おう~」と楽しみにしていたのですが、、、、、
買えないのです。
違うのです。


展示の中では、どの背景も恐ろしく素敵で美しいのですが、
それを一枚の絵として見ると、、、違うのです。

なぜかな、、、なぜ買う気にならないのかな、、、
それに背景の絵はポストカードになっているものが非常に少なかったです。


なんだか納得がいかなくて、
でも、ポストカードを見ると「これは違う」という違和感が強く、
とにかく買う気がしない。。。。。



ショップのコーナーでしばらく立ち尽くして、
考えて、、、、
考えて、、、、

やっと分かりました。


アニメーションの背景は、前景に人が入ってこその背景なのです。
常にその前景で物語が進行することが計算されている。

普通の絵画は、それ一枚で完成していて、
それ一枚で世界を表現しています。


でも背景は背景なのです。
そこに物語がないのです。

背景に物語があると、それはもう背景ではないし、
主人公たちが動く余地がなくなってしまうのですから、
気づいてみるとあまりにも当然のことでした。


背景は脇役なのですね。
主人公たちが物語を展開させていくための脇役なのですね。
というか、全体として統合された作品として表現されていくための部分なのです。
どれほど美しく、どれほど完成されていても、
背景が物語を語ってはいけないのですね。

背景は、物語の主人公たちに捧げられるものなのだな、
と改めて思いました。


自分の役割を心得ていて、それを心から受け入れて、
その枠の中で全力を尽くすのだな、
それは本当に美しいものだけれど、
額に入れて飾るものではないのでした。


最初の話に戻すと、
背景を描く人はグループで働いていて、
グループで最高の結果を出すために、
指揮者のタクトを見ながら力を尽くしているのです。
絵画のような個人プレーの感覚で見てはいけないのだな、と思いました。



おまけです。

あなたはグループタイプですか?
個人プレータイプですか?


私は典型的な個人プレータイプだと思っていたのですが、
気づいてみるとグループを動かしていて、リーダーをしています。
つまり指揮者タイプなのです。

自分は個人プレータイプだと思っていたのは、
大きな勘違いでした。

そんな気づきや経緯も、気が向いたらシェアしますね。
ただ、自分が思い込んでいた自分と、実際の自分がかなり違っていたので、
その気づきはちょっとした衝撃でした。

あなたもご自分を振り返ってみて、
どちらのタイプなのか考えてみてくださいね。



では。