「相手のために一生懸命したのに、ちっとも感謝されない、、」あなたへ

無償の愛

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。


今日の話題は、

「相手のために一生懸命したのに、ちっとも感謝されない、、」

です。

これもよくある事ですよね?


これについて考えるには、1つ大きな前提があります。
それは、

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私たちは無償の愛が溢れる人になるために、
人間として修行している。
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です。



虐待を受けて、生きる価値はないと思っている人も、
虐待する自分を止められずに絶望している人も、
前を歩く人が落とした荷物を拾って渡してあげる人も、
わがまま放題で自分の損得しか考えない困った人も、
身内への憎しみ憎悪に身悶えしている人も、
ラブラブのカップルも、


どの人も等しくみな、

無償の愛が溢れる人になるために、
人間として修行している途上の人。

なのです。


私たちはたくさんのたくさんの転生をして、
膨大な数の人間の人生を生きてきました。

何度も何度も「愛」のテーマに取り組んで、
転生のたびに少しづつ成長してきました。



だから、どうしてあの人は平気で部下いびりをするのかな、、、、
なんでそんな事が平気でできるのかな、、、、
と思うような人が仮にいたとしても、

その人はその人の魂の発達段階で、そのような体験から学ぶ必要があるのでしょう。


全ての人が、全ての魂が、必ずみな間違いなく、
失敗したり後悔したりしながら、少しづつ少しづつ成長しつつあります。



話を戻します。

相手のために一生懸命何かをしたのに、
感謝されない事、ありますよね。


そういう自分に気づいたら、


ああ、まだ私は「無償の愛」にたどり着いていないんだな。
今の私の現在地は、ここだな。


と思ってください。


感謝が欲しい、その感謝が見返りですよね。
相手によかったと思って欲しいし、
自分がした事が間違っていないという感覚が欲しいのですね。

そして、これでよかったのだ、という確信を持つ基準を、
自分の内側ではなく、外側に求めています。


本来、自分の行動の基準は内側にあります。
他者の都合や他者の気持ちを考える必要はありますが、
もちろん、それはとても大切な事ですが、

私はこういう行動をするのだ、
人には親切にするのだ、
できるだけの手助けをする人なのだ、
そういう人間なのだ、
という確信のようなものが自分の内側に確立していないと、

認めて欲しい、感謝して欲しい、見返りが欲しい、

という気持ちになります。


私はこういう人間だから、人に親切をする。
のではなく、
私は相手に認めてもらいたいから、その人に親切にする。
だから感謝してほしい。

になってしまいます。



もし誰かに認めてもらう必要もなく、
感謝してもらう必要もなく、
見返りも期待していないのなら、

目立たずにこっそりと行動するでしょう。
相手が感謝してくれるかどうか、など意識に上らないでしょう。



いつか私もあなたも、無償の愛がコンコンと湧き出るようになるでしょう。
そこを目指して成長しているのですから。

見返りを求める気持ちが出てくる自分に気づいたら、


ああ、まだ私は「無償の愛」にたどり着いていないんだな。
今の私の現在地は、ここだな。


と思ってください。



では。