中村哲さんへの憧れ

中村哲さんへの憧れ

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

今日は「中村哲」さんのお話です。
昨年の12月4日、アフガニスタンで車で移動中に、武装勢力によって銃撃を受けて胸に被弾して、
亡くなられたニュースは、まだ覚えていらっしゃるでしょうね。


昨夜から共時性がいつくかあり、
中村哲さんについて私が何か書けるほどの情報は持っていないのですが、
何か書かなくてはいけないようです。



それで、積読になっていた2冊の本を読みました。

中村哲さん講演録 
平和の井戸を掘るアフガニスタンからの報告

中村哲 ほんとうのアフガニスタン



です。
近所の古本屋で見つけて購入してあったものです。



友人から先日もらった、TV「こころの時代」への出演動画も昨夜見ました。
他にもいくつもの情報が急に入ってきて、
何も書けなくても、何か書かなくてはいけないのだな、と背中を押された感じです。


実は私は、中村哲さんの活動を知りませんでした。
亡くなられたニュースを知ってから、その偉業のいくつかを知りました。

という程度ですが、私が何に一番心惹かれ、感動したのかをシェアします。


ソ連侵攻とそれに続く内乱、アフガン戦争の最中に、安全な日本に帰る事なく、現地で井戸を堀続け診療をし続けた事。


きっと「やるぞ!! 逃げるもんか!!」と拳を握ったのではなく、
淡々と今できる事を今できる範囲でやり続けたのだと思います。


支援団体であるペシャワール会をNPOにせず、任意団体のままにして、全て手弁当のボランティアで組織し続けた事。


組織が大きくなると、組織を意地するための資金がどんどん大きくなります。
全員が他に職を持つボランティアだからこそ、集まった資金の95%が現地に送られた。

これもすごい事なのです。
私もあちこちの団体に寄付しているのですが、
大きな組織はとても整っていて素晴らしい活動をされているけれど、
組織の維持にかかる経費にいつも矛盾を感じていました。


100年に一度の大旱魃だった2000年、大飢餓で100万人が死にかけているとき、マレーシアと中国を覗く全国際社会が、アフガン制裁を決議し、食べ物の制限をしようとした。


食糧だけは正解品目から外させたものの、世界から孤立し見捨てられた状態。

このとき、病気はあとから治せるから、と井戸掘りをされたんですね。
作業地は660カ所、約120の村で25万人から30万人が村を離れずに済むことになったそうです。

その井戸堀で活躍したのが、元ゲリラの作業員や医療職員で、
爆発物の取り扱いに慣れていたために、
井戸掘りでぶち当たった岩盤を地雷を平和利用して破壊したのだとか。

このときには空爆の中で、ペシャワール会の「いのちの基金」を使用して、
合計5000トンの小麦粉を運んだそうです。




一人の人間が、まっすぐに「やる」と決断した時には、
これほどの事が出来てしまうのですね。

お金が集まったらやろう、とか、
休暇をとってボランティアに行けたらいいな、とかではなく、

「これは見過ごせない。失われていく命を助けるのは医者の務め」と、
徹底的に関わっていく。



「出来るかな」「出来なかったらどうしよう」
なんていう気持ちは微塵もなく、

資金が足りなければ、集めれば良い。
人材が足りなければ、育てれば良い。
大旱魃なら井戸を掘れば良い。


のですよね。



私はこう言う、弱者のために真っ直ぐに何かをやり抜いていく人、
命も人生も当然のように捧げ尽くしているような人に、
たまらなく惹かれます。

たまらなく惹かれて、魂が震えるような感動があります。
胸が苦しくなります。



そして世界のために、弱者のために、自分にも出来る事をしていきたい、と
強く思います。


「◯◯がないから出来ない」とか、
「◯◯になったら始めようかな」とか言っている場合ではありません。
ましてや、「鼻の頭の毛穴が、、、」なんて考えない。

世界には私たちの善意の手、奉仕の手を必要としている方たちが、
本当にたくさんいるのですから。




スピリチュアル的、神智学/アリス・ベイリーに言うと、
中村さんはイニシエートだろうな、と思います。

イニシエートというのは、自分を磨き高めていく段階で、
あるレベルに達すると受ける事の出来る一種の儀式、
イニシエーションを受けた人を言います。


イニシエーションを受ける条件は、
自己中心性を脱却して、グループ意識を発達させる事。
奉仕を人生の目的とする事。
無害であるように努力しつづける事、などがあります。


イニシエーションとは、
そのような魂を磨く努力をしていくと、与えられるものです。

そして、さらなる試練も与えられる訳ですが、、、、




写真家の星野道夫さんは、撮影のためにロシアのカムチャッカ半島でテントで寝ていた時、
ヒグマの襲撃で亡くなりました。

中村哲さんは、アフガニスタンで車で移動中に襲撃されて亡くなりました。

このような死は本当に悔しいし残念だし辛いものですが、
やりたい事、やるべき事をやり切って、現場でその仕事中に亡くなる、というのは、
ご本人にとっては本望だろうな、と想像します。

その事に自分を捧げ尽くしているのですし、
神様から帰還命令が出たために起きた事件だと仮定すると、
実は幸せな死に方なのかもしれない、と思います。




蛇足です。
中村哲さんが最初にパキスタンに派遣されたのは、
日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)からだったそうです。

実はJOCS は、私が全面的に信頼している寄付先の一つなのです。
こんなところに繋がりがあった事を知って、
ちょっと嬉しかったです。



では。