人のために尽くす時、自分のことを差し置いてもすべきでしょうか?

人のために尽くす

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

子供の日ですね。
うちには鯉のぼりはありませんが、
妙に食べたくなって柏餅を買いに行きました。

今日はどの和菓子屋さんにも、行列が出来ていました。


さて、今日は先日のセミナーでいただいた質問が素晴らしかったので、
それをこちらでご紹介します。


ご質問の趣旨の一つ目はこんなものでした。

■人のために尽くすことが大切とのことですが、
自分のことを差し置いてもすべきでしょうか?



と言うものでした。


これは私たちの発達段階を考えて、2段階あります。

第一段階目は、
まだ心の傷がたくさんあり、様々な感情が渦巻く状態の方は、
誰かに尽くす時には、
その誰かの顔色を見ているでしょう。

その人に嫌われたくない、
その人に従わないと、何を言われるか分からない。
変な人だと思われたくない。
その人に従っていれば多分大丈夫だ。

そのような「動機」でその人に尽くすのだとしたら、
それはアーキタイプの「売春婦」の影が動いている状態で、
決して良いものではありません。

自分の身を守ることが、その人の一番の動機ですから。

その状態の方は、まずは心の傷を癒さなくてはなりません。
傷が癒されれば、あなたはもっと自由になります。
その人の顔色を見なくても、自分の意思で動けるようになります。

その時に「自分のことを差し置く」という意識は無くなっていきます。
最初はあるかもしれませんが、
何の苦痛もなく、特別間もなく、
自分の個人的で利己的な欲求を横におけるようになります。


そのような状態になれば、たまたま縁のあった何か、
目に入った誰か、
よりひどい生活環境にいる人たちを思い、
その方達のために奉仕出来るようになるでしょう。

これが第二段階目です。


その時の動機は「この人たちを助けたい」になります。
そこに自分の思惑や利益が絡みません。


つまり癒されると「動機」が全く変わってくるのです。





これを受けてさらにステキな質問をいただきました。

■ 自分の傷が全て癒されてから、
他者のために奉仕する方がいいのでしょうか?
それとも癒される途中から動いた方がいいのでしょうか?



私の答えは、「人に尽くす、人に奉仕するのを後回しにしてはいけない」です。


前を歩いている人が何かを落としたら、反射的に拾ってあげるでしょう?

私たちの中には、基本設定として、
弱者に優しくする、助ける、尽くす、というプログラムが入っているのです。

だから、自分自身がボロボロでも、そのプログラムは動かしてください。

癒されていなくても、傷でボロボロでも、
同じように傷ついている人に優しく接することは可能です。

お金に困っていても、地球規模で考えてみれば分かるように、
私たちは豊かなのです。
お財布の中の小銭を募金箱に入れるのを躊躇わないでください。

あなたと同じように傷ついている人がいたら、
小さな笑顔をプレゼントしましょう。

引きこもっていて心配な家族がいれば、
ちょっと連絡してみましょう。
手に負えなければ専門家に回せばいいのです。



あなた自身が辛くて痛みを抱えていても、
あなたにも出来る小さな奉仕が必ずあります。
あなたが癒された時に、もっと大きく動けるように、
今は小さく、出来る範囲のことをしてください。


自分自身がしっかりと癒されるまで、
誰かに優しくしたり、慰めたり、
奉仕したりするのをストップさせないでください。

むしろ、自分自身のためではなく、
誰かのために小さな動きをすることが、
あなたの傷を癒す助けになるでしょう。


もしその時に、


私の方が大変なのよ、私こそ助けてほしいわ。
せっかく◯◯してあげたのに、お礼も言ってくれないなんて、、

というような気持ちが湧いてくるとしたら、


そういう自分を素直に認めてください。

ああ、私は傷が癒されていないから、
こんなネガティブな気持ちが出てくるのね。
これは傷がさせている事で、
私の本質ではない。
だから、ちゃんとこの傷を癒しましょう。


と考えてくださいね。




では(*^_^*)