礼文島で確信した3つのこと

2020聖地巡礼の旅in利尻・礼文

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

今日は昨日の「歩くと進む。道はある」の続きを書きます。




最近少しづつ書き始めたのですが、
体の不調の多くは、心が作っています。
それをリアルに感じたお話をいくつかご紹介しました。

今日の切り口は、

「疲れは感情」です。


改めて考えたらすごく簡単でした。
何か思い通りに行かなくてあれこれ苦労すると、
すごく疲れますよね。

体も怠くなったり、
どこかが痛くなったり、
体重が5キロほど増えたような感じがしたりしますよね?

それは、
身体が疲れたのではなく、うまく行かなかった感情が溢れていて、
それに身体が合わせているのです。

身体が感情に合わせる、
というのはちょっとニュアンスが違うかもしれませんが、
でも大きくは間違っていません。

楽しい時間は、体力を使っても疲れません。
楽しくない時間は、体力など使わなくてもぐったりします。

これはもう、誰でも実感していますよね?
つまり、感情が疲れを作っているのです。



利尻島・礼文島に行った時にも、それを感じました。
私は日頃全く動いていませんから、
一日に歩く歩数は、少ないと1000歩以下です。
週に一回はちょっと歩く用事があるので、その日は8000歩くらいになります。

1万歩を超えて歩くと、ちょっと疲れます。
週に1回1万歩歩く、というのが平均的な私の日常です。



利尻島・礼文島の旅行中は、
ほぼ毎日1万歩を超えていました。
でもちっとも疲れません。

礼文島に一人で渡ってからは、朝から昼過ぎまでで山道を2万5千歩歩いた日がありました。
山道。
しかも2万5千歩。

これは私の今までの限界を軽く超えています。


しかも私、坐骨神経痛が治りきっていないのです。
坐骨神経痛の痛みが瞬時に消えた話は、
メルマガに書いたので読んでくださった方がいると思います。

この痛みは私の脳が痛みを増幅しているだけで、
実際にはこんなに痛くないはずだ。

と気づいた瞬間に、痛みが消えて普通に歩けるようになったのです。

その後、様々な怒りを中心としたネガティブ感情が、
肩こり、腰痛、坐骨神経痛などを生み出していることに気づきました。

そして坐骨神経痛の「痛み」は消えたのですが、
痺れは残っています。
この痺れは何を意味しているのか、探究中です。

2020聖地巡礼の旅in利尻・礼文


というわけで、利尻・礼文に行った時にも、
私はずっと足が痺れていました。
足の機転が効かないというか、
感覚が麻痺していてぐらつくので、足場が悪い場所では転びそうになります。
これも何か心理的なことが関わっているに違いないのですが、、、、

とにかくそのような状態で、
一人で、礼文島の寂しいトレッキングコースをテクテク歩きました。


私は、きっと歩けるだろうな、と予想していました。
「私の体力はこのくらい」
「このくらいなら大丈夫だけど、これ以上は、、、」
というストッパーは、
脳の中にだけ存在するのです。

ストッパーは現実にあるのではなく、脳の中の単なる「信じ込み」です。

私にはそうとしか考えられなかったので、

脳が勝手に作ったストッパーなら、
勝手に信じ込んでいるだけなら、外すのも簡単のはず。

と考えました。



それで、自分のペースでゆっくりと山道を歩きました。

歩くときのコツは、「何も考えないこと」です。
一歩一歩を瞑想します。
ただ、右足を出して、次に左足を出すのです。

それだけです。

それで、資料に書かれている平均的な時間は、
合計5時間40分です。
私がゆっくり歩いて実際にかかった時間は、5時間弱でした。

このガイドが、かなり余裕を持って書かれていたのでしょう。


その調子で毎日1万歩以上あるいていたら、
流石に最終日には足首の痺れがひどくなり、
細かい調整が出来なくなりました。
これは本当の物理的な疲れだったのかもしれません。


礼文島を歩きながら私が実感したことは、


1、疲れは感情。肉体的な疲れはそんなに多くない。

2、限界は脳内にだけある。出来ると思うと大抵のことは出来る。
出来ないと思うのも、感情。

3、瞑想的な意識になれば、脳内ストッパーは働かない。
つまり、ネガティブ感情がなければ能力値は大幅にアップする。


でした。

もちろん限界が全く存在しない、とは思っていません。
筋肉が必要な動きはありますよね。
でも、私たちが普段思っている、「自分に出来るのはこのくらい」という範囲は、
本当に出来る範囲を大幅に下回っていると思います。


ネガティブな感情が減ると、
ストッパーが消えていくので、
能力値が上がるのです。


それは体力の分野だけではなく、あらゆる分野で言えることだと思います。