精霊たちの世界に簡単に踏み込んでしまうような

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こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。


今日もまた聖地巡礼の旅で考えた事、
利尻・礼文のご報告の続きです。


最初に利尻島に行き、
礼文島に渡ってからまた利尻島に戻って、
もう一度利尻島を堪能してから大阪に戻りました。

それで、利尻島と礼文島のエネルギーの違いを
強く感じました。

これは何かなぁ、、とずっと考えていたのですが、
一つ思うのは、

利尻島には利尻山がある、という事です。



利尻島は山が噴火してできた島で、
山が中心にあり、裾野に樹海があり、その裾野に人が暮らしていて、
海がある、という小さな島です。

ですから、島のどこにいても利尻山が見えます。
富士山に近い美しい形をした、霊的なエネルギーを濃厚に纏った山です。

利尻山が見えないとしたら、海が見えています。

島の中で、ふと顔をあげると、
利尻山が見える。
山が見えないとしたら海が見える。

これがすごい、と思いました。

毎日が、利尻山と海なのです。


この島に暮らしていれば当然の事なのでしょうね。
でも山に近い平地で育ち、大都会の大阪に暮らす私には、
全く違う感覚、全く違うエネルギーとして感じられました。

山を見上げて山を見つめて感動していたいのですが、
感覚としては、背後に山で守られて海に対峙している、という感じがしました。

別の言い方をすると、利尻山という偉大なエネルギーに、
全てが向かっていく、そして全てが収束していく、という感じです。
男性的、と言ってもいいかもしれません。


礼文島

礼文島には高い山はありません。
火山で出来た島ではなく、隆起してできた島なので、
利尻島よりもさらに高山帯になるのに、小高い山の連なりでできています。

礼文島の、利尻島よりの場所では、
「利尻山がきれいに見える」ことが売りになっていました。
美しい利尻山の姿が見えることが、人を感動させるのです。


利尻山が見えない場所では、
平地が少ないのですぐに海です。
海が見えて、反対側は小高い山の連なりが見えています。

私が勝手に、ユニコーンの住まいだと決めた、なだらかな丘陵地帯です。
ほとんど木のない、大草原の連なりを見ているか、海を見ているか。。。


つまり利尻島のような、一点に収束していくようなエネルギーではありません。
なだらかな大草原の連なりが切れると、海がある。

女性的と言っていいのかどうか分かりませんが、
穏やかで優しく、受容的で、見つめているとそのまま異界に入り込んでしまうような、、、
山を歩いていると精霊たちの世界に簡単に踏み込んでしまうような、、、
そういう危うさがありました。



私は、来年の花の季節にもう一度訪れたい、と強く願っています。
今まで行ったどの土地もステキでした。
どの土地も、もっとここにいたい、もっとこの土地を知りたい、
味わいたい、絶対にまた来たい、と思いました。

でも利尻島・礼文島は、花の季節に行くことがもう決まっているような、、、
行かなくてはならないような、、、、、
一面の花、
一面の花、
一面の花たちが、
来年の花たちが、
もうすでにスタンバイして待っていてくれるような、

そんな気がしています。



では。