こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。
今日は私自身の内面のアウトプットですから、
興味のある方だけ読んでくださいね。
実はこの半年、うつっぽかったりして、
メルマガが書けなかったり、
いただいたメールのお返事が出せなくて放置してしまったり、
どうしても仕事が出来なかったり、
坐骨神経痛でうめいてたり、
眠くて眠くて倒れていたり、
気分の落ち込みがひどくて身動き出来なかったり、
思い通りにならない日々が続いています。
時々ここに書いていましたからご存知の方も多いかもしれませんが、
山歩きをするとうつがマシになり、
その間には坐骨神経痛は出ないのです。
気分の落ち込みも消えています。
それで仕方がなく、好きでもないトレッキングをし始めました。
好きではないのです。
筋力体力がないし、
高い場所が怖いし(高所恐怖症傾向)、
鬱蒼と茂った木々の中の閉塞感が嫌いだし(閉所恐怖症傾向)、
楽しくないっっっっっ
でもなぜか山や谷川、海などにいくと確かに元気になります。
また行きたくなります。
私の恐怖症傾向はそんなに強いものではないので、
行きたくないーーー
高いところは怖い怖い怖いーーーーー
鬱蒼とした狭い場所は嫌いーーーーー
と内心で喚きながら、一人でトレッキングをしています。
実は、11月は6回も山に行っているんです。
その時間があれば、もっとちゃんと仕事をしろっっっっ
と思いますよね(−_−;)
でもおかげさまで坐骨神経痛は、かなりよくなっています。
そして好きではない山歩きですが、
気付いたら「ものすごく行きたい」のです。
行きたい、次はどこに行こうか、早く行きたい、
というエネルギーが突き上げてきます。
でも意識では「怖い」ので行きたくありません。
でも何かが突き上げてくる。。。
あーこれはもうしょうがないわ、、、
この衝動に付き合うしかないか、、、、と思って、
実は明日も始発のバスにのってちょこっとだけ山歩きをしてきます。
山歩き、好きではありませんが、感動することはたくさんあります。
その中でも、一番気になっていることは、
「歩くと進む」
という、文字に書くと馬鹿みたいに普通のことです。
これは9月に聖地巡礼の旅で礼文島に行った時に気付いたのです。
一人で礼文島の高原を歩いていて、
ちょっと立ち止まって振り返ると、
1分前に立っていた場所が見えます。
5分前に歩いていた場所も見える。
私は歩くスピードがかなり遅いのですが、
どんなに遅くても、一歩一歩歩いていると、ちゃんと距離を稼いでいる。
また歩き始めて、ふと立ち止まる。
歩いてきた道を振り返ると、少し前にふうふう言いながら登った嶺が、
少し遠くに見える。
10分前に私があるいたあの場所を、
今、そこを歩いている人がいる。
逆に、マイペース出歩いていると多くのハイカーが、
私を追い抜いていきます。
私が誰かを追い抜くことはありません。
みんな私を追い抜いていきます。
そして10歩ほど私が歩く間に、
私を追い抜いて行った人はもう見えなくなる。
ずっと先に行ってしまう。
スピードの違いを実感しますが、
その人もまた、自分のペースで歩いて、一歩づつ歩いて、
歩いた分だけ先に進んでいるんです。
すごく、ものすごく当たり前ですよね。
それが妙に不思議で、妙に感動的なのです。
それで今朝、ふいに分かりました。
山歩きというのは、自分が自分の足で歩いた、
その道筋を肉眼でハッキリと確認できるのです。
自分は今日、ここからここまで歩いた、とハッキリ言える。
地図を出してルートを確認したり、走行距離を測ったりもできる。
私たちの人生で、自分が努力した結果が、
努力の分だけハッキリと分かりやすく確認できることは、
思ったよりも少ないのかもしれません。
努力が実らなかった経験、あなたもありますよね?
でも山歩きにはそれがないのです。
歩いた一歩はそのまま成果ですから、
実らない努力はないのです。
実らない努力はない。
それに気付いて、
ああ、私は自分が成したことの成果を、
ハッキリと肉眼でリアルに確認できる様な体験がしたかったのかな?
と思いました。
私はこの人生で与えられた仕事をしているはずだし、
やってきたことの成果も実感しているのに、
それに喜びを感じているのに、、、
それでもその実感が足りなかったのかもしれません。
もっともっと実感したかったのかもしれません。
そこはよく分からないのですが、
山歩きをして、振り返る度にそこはかとない感動があるのは、
多分、このような実感を私は必要としているのでしょう。
でも、それだけではないような気がしています。
それだけの理由では、この、突き上げてくるエネルギーの量が、
多すぎるような気がします。
多分、、、無心で歩くことで、
私を縛っている何ものか、
自分で作り出した限界、
「出来ない」という幻想、
そのようなものをかなぐり捨てたいのかな、、という気がしています。
確かに、私の体力はこのくらいだ、と感じていた限界は、
いともあっさりと破られて、
このくらいと考えていた2倍歩いても、まだ少し余裕があります。
そしてそれだけ歩いても、
内側から突き上げてくる何かは全く減っていないのです。
これのどこが「うつ」なの????
と自分でも呆れるのですが、
家で仕事をしていると、幾重にも被されている強靭な薄皮のようなものがあり、
それが私を窒息させるような感覚になります。
柔らかく暖かいもので包まれて、
甘くて美味しい何かで満たされて、、、、
そこに閉じこめられるような気がしてくるのです。
というわけで、私はその薄皮のようなものを剥がすために、
明日も少しだけ山歩きをしてくる予定です。
アウトプットの力はすごいです。
何も考えずに書いてみたら、ああこれか、、と納得しました。
どうも私は「脱皮」したい様ですね。
では。