病気や傷を理由にしていませんか?

病気や傷を理由にしていませんか?

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

今日も、亡くなった父のお話です。
激しかった父との思い出は、たくさんたくさんあるんです(;^_^A

父は脳梗塞で倒れた後、とんがった性格がさらにとんがってきました。
年齢とともに、ますますとんがっていきました。

「よく聞けよ、オレの寿命はあと2年」

これが、よく、父が言っていた言葉です。

「俺は病気なんだから、言うことを聞け」
「俺は辛いんだから、何をしてもいい」
「俺はもうすぐ死ぬんだから、もっと優しくしろ」

本当は、そう言いたかったんだと思います。
脅しであり、父の切り札だったんですよね。

この言葉を使うことで、周囲の人や状況を、自分の思う通りにコントロール
したかっただけなんです。
母はずいぶんと父に尽くしましたが、どんなに頑張っても限界はありますよね。
そこでまた、父は大騒ぎするわけです。

ですが、よく考えてみると、寿命と人間関係とは、何の関係もないんですよね。

寿命が長くても短くても、どちらでもいい。
目の前いる人と、どんな関係を作っていくか、だけなんです。

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では、ここでおなじみの元型について見ていきましょう。

◆【元型】って何?という方はこちら
https://www.fairy-blue.com/518/

この時の父のパターンは、「子供」「犠牲者」のミックスです。

自分は病気の犠牲者であり、
自分は、思い通りに動いてくれない母の犠牲者であり、
自分は老いの犠牲者であり、
etc..

父は、たくさんのものの「犠牲者」だと感じていました。
そして、駄々をこねてかまってもらおうとする、「子供」でもありました。

「犠牲者」と「子供」が結びついたとき、攻撃性は外へと向けられます。
いつでも誰かに怒りをぶつけて、攻撃してしまうのです。

そして、もう一つの元型の影が現れます。

「つぶし屋」です。

「いくら頑張ったって、俺の病気は絶対に治らないよ!」

父は、自分が元気になることの「つぶし屋」でもありました。

「つぶし屋」が現れることで、「犠牲者」+「子供」から抜け出すのが
ますます困難になっていきます。

つまり、抜け出したくなかったので「つぶし屋」を援助に呼んだのですね。

実は、「犠牲者」はとても甘い蜜を持っています。
「お得感」があるんです。
そのため、これを手放したくない人は、とても、とてもたくさんいます。

病気だったり、心や体に傷を持っていたり、
いじめられたり、差別されたりすると、人は気を遣ってくれるでしょう。

プレゼントをもらえたり、何かを買ってもらえたり、
優しくしてもらえたり、やるべきことをしなくて済んだり、
特別扱いしてもらえるんです。

他人が注目してくれるからこそ、「治りたくない」という気持ちも出てきます。
かまってもらえない子供が時々熱を出して、親の気をひこうとする。
それと同じ状態です。

病気とか傷とか、事故とかいうマイナスのものは、
何かを免除される、人に優しくされる理由となり得ます。
ですから、一度手に入ると、なかなか手放せなくなるんですね。

ですが、それは一時的なものです。
誰もがそこから立ち上がり、手放していかなくてはいけないものです。

その時に誰かに甘えることがあっても、その甘えに自分で気づいていることが大切です。
そうでないと、その状態があまりに心地良くて、抜け出せなくなってしまいます。

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そして、この「疾病利得」に味をしめたらどうなるか・・

他人をコントロールする「道具」として、「犠牲者である自分」を使い始めます。

私は、親のせいでこうなった
私は、病気のせいでこうなった
私は、学校のせいでこうなった
私は、嫌な上司のせいでこうなった
私は、社会のせいでこうなった・・

だから、私は悪くない。
だから、私のせいじゃない。
どうして、犠牲者である私を、もっと大切にしてくれないの?

そして困ったことに、こんな「犠牲者」はどうも気持ちがいいのです・・
悲劇のヒーロー、悲劇のヒロインになれてしまうんですよね。
少なくとも、自分の中では。

ですから、どんなにわがままになっても、どんなに周囲に当り散らしても、
「当たり前でしょう?だって私は辛いんだから」と、罪悪感すら
感じなくなっていくでしょう。

「犠牲者の影」に浸って、誰かをコントロールしているような人がいたら・・
あまり、近寄らないことです。

こちらは丸腰、相手は、武器を持っている状態なのですから勝ち目はありません。

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そしてもう一つ、「犠牲者」が注意しなければならないことがあります。
同じような「犠牲者」と、意気投合してしまうことです。
これを、私の先生は「傷つきなめあいクラブ」と呼んでいました。

同じような状態の人と、情報を共有し、支えあい、励ましあっていくことはとても大切です。
深いところまで理解してもらえるからこそ、立ち直る力が湧いてくることもあるでしょう。

ですが、同じ傷を持つ者同士が、「自分を癒す」ことから目をそらしてしまった場合・・
「犠牲者」×「犠牲者」の相乗効果で、ますます「癒す」ことから離れていってしまうでしょう。

「辛いよねー」
「誰もわかってくれないよね」
「みんな、ひどいよね」
「ねー」

そんな関係が嫌になり、自分だけ立ち直ろうとした時に、
相手が怒って、関係が終わってしまうこともあるでしょう。

ですが、それでも自分の傷は、癒していくのが正解です。

癒していくことでしか、次のステップに進むことはできないのですから。

傷や病気を治す時

それでは、傷や病気を癒していく時の流れを見ていきましょう。

(1)無意識であれ、意識的であれ、傷や病気を利用して人をコントロールする。
あるいは、傷つきなめあいクラブに浸っている。

(2)そんな自分に気づいて、自分を癒す決断をする。

(3)自分の内面をしっかり観察して、他人をコントロールしようと
している自分に気づく。
あるいは、傷をなめあうことがどうして気持ちがいいのかに気づいていく。

(4)どんどん洗練していく

(5)人をコントロールする必要がないことに気づく。
「自分を癒すこと」をベースにした人間関係を築いていけるようになる。

うちの父もそうでしたが、悲しいことに、(1)で終わってしまう人が
かなり多いんです。
(2)に行けるかどうかが、運命の分かれ目となるでしょう。

(3)は難所で、とても辛い時期です。
自分の影の部分、嫌な部分に気づいて、気づきから目をそらしてしまう人も多いでしょう。

確かに、癒してしまうと「犠牲者の甘い蜜」は吸えなくなってしまいます。
必要以上に大切にされることもないし、気にかけてもらえることもなくなるでしょう。

ですが、「甘い蜜」は心と体を蝕む「毒」なんです。
毒を飲み、ゆっくりと慢性的に、自殺に向かっているような状態なんですね。

それに気づいて、本当の幸せ、本物の深い喜びを別の方法で見つけて
いくことが大切なんです。

心と体を癒しながら花を育てたり、
身体に話かけながら栄養のある料理を作ったり、
前向きなアファーメーションを毎日唱えたり、
今までよりももっと、ずっと、身体と心、そして魂が喜ぶことで癒していくんです。

そうすれば、周囲の人たちはあなたにピリピリと気を張る必要もなくなりますし
あなたと対等な関係を結んでいけるようになります。
「犠牲者」と「被害者」ではなく、「人間」と「人間」の、本物の関係が
作れていくでしょう。

「疾病利得」は甘い毒です。
「自分を癒す」ことは、光です。

そしてその光は、とてもとても美しく輝いて、あなたと周囲を照らして
くれることでしょう。

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ここまで辛い傷とか病気はないよなぁ・・というあなたも
ひょっとしたら、「小さな甘い蜜」を使っているかもしれません。

ちょっとだけ、いつもより深く自分を眺めてみてくださいね。

「仕事が忙しいからって、イライラして料理に文句をつけてたな」
「受験を理由に、家の手伝いは何もしなかったな」
「風邪をひいたからって、友人に買い物に行かせちゃったな」

そんなちょっとの気づきはないでしょうか?

誰にでもあることですから、落ち込む必要はありません。

ですが、そこに気づくことが(2)に進む第一歩となりますね(^-^)