2つある、愛のレッスン

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

先日友人といろいろ話をしたのですが、お金と食事は愛、そしてそれと似たようなものを表現するものとしてよく使われるのだと実感しました。

愛のレッスン

聞いたことがある人が多いと思いますが、アルツハイマーになってくると出る言葉が
「食事をしていない」、「お金を取られた」の2つです。
大半この2つなんですね。

食事とお金は、生きているうちは欠かせないものです。
年を重ねていろんなことが出来なくなっていくと、
食事がきちんと食べられて飢えずに済むか、
欲しいものが買えるだけのお金はあるのか、
が心配事になるのです。

この「食事とお金」は別名「愛」なんです。
そこから広げ、今日は「愛のレッスンには2種類ある」というお話をしましょう。

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 ◆初級レッスン
 
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心理学を学びだした頃、読んだ本にこのようなことが載っていました。

愛というものは、それを受け取る側が愛だと感じられなければ、愛とは言えない。

こんな感じの言葉でした。
今でも鮮明に覚えているほど、私に大きな驚きと深い納得を与えた言葉です。

思春期の頃、
親の愛として押し付けられるものが、私には過保護・過干渉に感じて、苦しくてたまらなかったので、それは愛ではないのだ、と分かった時、心がすっと軽くなりました。
「ああ、それは愛ではなくて、過保護で過干渉で侵入なのだ」と。
愛とは侵入しないもの、押しつけられないもの、
言う通りにしないと怒りをぶつけられるものでもないのです。
相手の気持ちや立場・感情を考えずに押し付けるものでもないし、
心配や恐怖から、そうならないように予防線を張るものでもないし、
執着が強くて手放せない物でもないし、
情に流されるものでもないし、
自分のプライドを満たすためにするものでもない。

そんな事が分かって行った時期がありました。

初級レッスンにいる人にとって、
愛は、相手や自分に愛として伝わらなければ、愛とは呼べないのです。

特に赤ちゃんや幼い子どもは、愛されているとはっきり感じる必要があります。
幼少時代にどのくらいの愛を受け取る事ができたか、で、
自己肯定感が変わります。
自己肯定感が低いと、人生は難しくなってしまいます。

もちろん、子どものわがままを通す事は愛ではありません。
甘やかすだけでもありません。
この辺は説明しなくても分かると思います。

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 ◆上級レッスン
 
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以前、父の事を述べましたよね。

この時に私が学んだのは、
相手を理解するとか受容するとか、話を聞くとか気持ちがつながるとか、
そういう「愛」のようなものがないのに、
父は「愛の人」だった、という事でした。

若い頃、私は、相手から受け取るものが心地よいかどうか、
自分にフィットするかどうか、で判断していました。
しかし、父に関する体験から、最近もう1つの視点を手に入れました。

相手の行為の中に愛を見つけることができるかどうか。
それがどんな形に変わっていても、オブラートに包まれたような状態でも、
その本質が愛なのだと気づけるかどうか。

それを自分が愛として受け取れるかどうか。

です。

更に言えば、
愛を与える自分が、どのくらいエゴを減らして相手に合わせて愛を表現できるか。
愛を受ける自分が、不快な言動からもその本質を見抜き、底にあるものを見つけ出せるのか。

という事なのだと感じています。

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 ◆上級その2
 
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愛などを表現する時に「お金と食事」が使われやすい、と最初にも書きました。

例えば、子どもを見て、何かおやつをあげたくなる事ってありますよね。
あれこれ考えずにただ、「可愛いな、何かお菓子なかったかな」と。
孫に甘いおやつを次々与える祖母は嫌がられたりしますが、
ただ純粋に愛を表現したいだけなのでしょうね。

おかしな例えでごめんなさい。例えば

身内や誰かの借金をかぶって返済している人がいます。
実は私もあれこれあって、自分が作ったのではない借金を返していた事があります。
最初はいろんな気持ちが渦巻いて、被害者意識と怒りとでとても苦しかったのですが、
その感情をきっちり整理していくと、支払うのも辛くなくなり、喜びが湧いてきました。

その人は私に愛のレッスンを授けてくれたのです。

いろんな話を聞きます。

ほとんど動けない年老いた両親と同居しているのに、
ご飯の準備もせず、平気で旅行に行ってしまう若夫婦。

作った野菜を毎月送ってくれる親。
宅急便代を考えると買うほうが安いのにも関わらず、です。

遺産相続のもめ事で、遺産を受け取った後に母親を追い出した子ども。

死んでしまった両親の残した借金を払い続けた息子

親から金を無心されるのが嫌で、行方不明になった人。

以前の私には、マイナスの状況だと、エゴと我欲とこじれた関係しか見えてきませんでした。
でも、お金と食事は愛なのだ、と思ってみると、
そこに違った景色が見えたんです。
上の例はどれも、「愛」のテーマなんです。

何かが起きた時、そこにある愛・その言動の根底にある愛を上手に受け取る事ができなくて、
誤解が誤解を生み、関係がねじれてしまう。
そうすると、悪循環が始まります。

素直に愛を受け取る事が出来たとしたら必要ない争いごとがどんなに多いことか。
そうじゃないですか?

でも、このレッスンはちょっとハードルが高いんです。

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 ◆愛のレッスンについて
 
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愛のレッスンその2

スピリチュアルな世界では、私たちは愛の存在であるし、愛がなければこの世に生きることさえ不可能なのに、それがうまく受け取れない、実感できないんです。
受け取りやすい形で愛を表現できないから、初級レッスンにいる人はそれを愛として受け取ることができない。
受け取れない、実感できないでは、結果そこに怒りや恨み、妬みなどが生まれます。
そしてこじれていく・・・。
私たちが三次元で日常的に見るのは、そういうものです。

愛のレッスンというのは、
相手に分かりやすい愛の形を表現して、相手に受け取ってもらうレッスンと、
こじれてしまった関係をうまく整理して、その奥底にある愛を受け取るレッスンという、

この2つだと私は感じています。

どうすべきなのか。

まずは、ベストな関係ではない人に対して、
その人が一番受けとれるであろう形を想像して、相手にそれを与える練習をすること。

もう1つは、ベストな関係ではない人との関係で、
愛をもって、相手や、その人のすることを見つめる練習をすること。
あなたは愛の人だから、きっと出来るはずです。

この2つからトライしましょう。

ベストな関係ではない、というのは、親友ではないけれど友人、というような人との関係です。
すでにこじれてしまっている人を最初から選んだりするのは辞めましょう。
変化が体験できたら、少しずつ難しい人に近づくようにしてみましょう。

頑張ってください。