死の瞬間に

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

個人的な話題になるので恐縮なのですが
ちょっとだけ、シェアさせてくださいね。

先日、私の友人Cさんが出産しました。
Cさんは助産婦さんにお手伝いをお願いして
自宅で自然な形の出産を、と考えていたのですが、
血圧が上がって妊娠中毒症になりかかったり、
赤ちゃんが少し小さめだったりして、
促進剤を使い、病院で出産することになりました。

出産

メールっていいですね!
入院から出産、そして出産後の赤ちゃんの写真まで、
リアルに受け取ることができました。
自分の出産のときの感覚がよみがえってきましたよ~。

Cさんが理想とする自宅出産は叶いませんでしたが、
自分の思うようにならないいろんなことやこだわりを手放して、
今、与えられる経験を受け取ることができ、意識が大きくシフトしたそうです。
自分は本当に必要な体験をさせてもらったのだ、と感じたのですって。
そして、無事可愛い赤ちゃんを出産しました。

先日Cさんが、とても素敵な出産レポートをくれました。

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細かく書くと長くなるので省略。

結論としては

生命力は偉大であり
全ては完璧である

ということです。

この先もきっと、いろんな選択を迫られることでしょう。
でもそのたびに、生命力というものを信じ、
全ては完璧である、と思い出せば
無用な心配も減り、自分自身でしっかり決められるようになるのではと
感じました。
ぶち当たった壁が大きければ大きいほど、です。

でも、これには続きが。

全てが完璧で、生命力が偉大だと分かっていても、
それでもやはり、大変なことがあれば泣いてしまう。
きっと、そのたびにあれこれ考え、感じて生きていくのだろうって。

私たちは生きているし、生かされている。
これ以上でもこれ以下でもないのです。

これが出産を経て、実感として得た一番の大きなことのように思います。
ごくごく当たり前のことなんですけど、心に響きました。

以下略

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ステキですよね。
私が子どもを産んだ時もこんなふうに考え、感じられていたら
もっと素晴らしい子育てができただろうな、と思います。

私には、不思議で仕方ない事があります。

「命」が生まれ、消えてゆくという事実。
今まで存在しなかった「命」が生まれ、そしていつか、
今まで存在していた「命」が消えゆく。

この事を思うと私は不思議でたまらなくなり、
身動きができなくなってしまうのです。

これはあまりにも私的なことなのでちょっと迷いましたが、
Cさんからのメールを受け取ったことが後押しとなりました。
私の最近の体験を報告させていただきます。

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 ◆命が消えゆく時
 
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SNS等でちょこちょこ書いていたのですが
私の父が先日、80才でこの世から旅立ちました。

この数ヶ月、私は父にいろいろなことを教わりました。
下り坂で体力と認知力が急速に低下していく中で
父が私に与えてくれたものはそれに反比例した、とても濃厚なものでした。

9月の初めに実家に行った時には、私の存在を認めてくれたように思えました。
介護用のベットが入り、床ずれも少し楽になるだろうと思いました。
母と一緒に父のおむつを替えをしながら、
父の苦痛や母の寂しさとはうらはらに、
私は本当に幸せだと感じたのです。

それと同時に、もう残された時間がないことを感じました。
父は、一番いいその日を待っているのだと思いました。

私が大阪に戻ってしばらくしてから、
父はひどく体調を崩し、緊急入院しました。
あと少しだと感じた私は、仕事をフルスピードですべてやっつけました。
病院に駆けつけた父の元には、すでにお迎えが来ていたのです。

父の最後の仕事は、息をすることでした。
全力で息を吸い込んで吐く、息を吸い込んで吐く…

私は、吸う時に緊張する首筋と、盛り上がる胸をずっと見つめていました。
吐いた時の動きも同様に見つめていました。
酸素マスクをあてがわれて、目元は看護師さんが
布で軽く押さえてくれました。

私は母や家族の者が不審そうな顔をしても動じることなく、手を握ったり頭をなぜたりしながら、ひたすら父の呼吸動作を見ていました。

父の大切な最後の仕事を、見て見ぬふりをするのはいけないと感じたのです。
私に出来る事は、ただただ見守る事だけでしたから。

父の魂はすでに身体から抜け出して、お迎えの天使とともにあるようでした。
肺の水を抜く二回目の手術の後、痰の吸引をしている時に、呼吸が変わりました。
柔らかな呼吸が数回、そして息を引き取りました。
父が、いなくなりました。

命というものが消える瞬間は、とても美しいものでした。

魂が消えた身体は、もう単なる「物体」でしかないのでした。
「亡骸」という言葉がぴったりだと思いました。
もう父は、そこにはいませんでした。

計器をモニターしていたドクターたちが数秒後に駆けつけて、延命はしないという私たちの意思を確認してからも、自力蘇生の可能性がある3分を待ちました。
それを時計で計っているのもなにか異質な感じがしました。

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 ◆最大の祝福をもらいました
 
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父が見せてくれた、「命の限りに生きる」ということと、
「命が消える瞬間の美しさ」は、父が私にくれた最大の祝福でした。

そしてやはり、「命」というものの始まりと終わりは不思議なものです。

余談ですが、父の魂は、周囲のみんなの都合をしっかり考慮してくれていて。
これ以上はない、というベストのタイミングでの旅立ちでした。
困る事など一つもなく、スムーズに進んでいきました。
周囲の皆の都合がどれもこれも驚くほどにうまくいったのです。

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 ◆死イコール不浄なのか
 
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昔から「死」は恐れられ「不浄」という扱いを受けてきました。
父が死に行く様を見つめていましたが、どこにも「不浄」は見つけられませんでした。
「死」そのものは清浄なものだったのです。
肉体は衰えて美しくないかもしれない、でも、
命の終焉とは美しいものでした。

例えば、死に行く人が残してゆく無念、苦痛、怒り、恨み、苦痛、恐怖などの思念、
そして残された者が手放せない何か、まとわりつく感情、喪失感、執着などは、
確かに「不浄」なのかもしれません。
本当に不浄なのは死、そのものではなく、それを受け入れきれない私たちの心の闇なのだと感じました。

その浄化のためにお通夜などの儀式や「喪」の期間が必要なのです。
お葬式前後の一連の体験をすることにより、
残された者たちが「死」を受け入れ、自分たちの中に残るエネルギーを浄化する。
とてもいいシステムが出来ていると感じました。

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 ◆信じよう
 
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生命力は、偉大

そして、Cさんの言葉に戻ります。

生命力は偉大であり
全ては完璧である

それは「生」「死」、どちらの瞬間にも言える事です。
生命力は偉大で、全ては完璧でした。

生まれる事と死ぬ事は、明らかに天の領域であって、
私たちのエゴの介入する余地はないし、介入してはいけないものだと
そう感じました。

私たちは、命というもの、そしてすべての完璧さを
もっと信じていいのです。
生まれ出る時も、死に行く時も。