信頼できる自分になりたい

「人を信じられない」と思ったこと、ありませんか?
しかも、一時的にではなく、もっと深い部分での心持ちとして…。
そんな話を、知人としたことがあります。

人を信じられないとき、私たちは
何かを頼まなくなる(頼めない)
頼まれたら断れなくなる
お金を貸さない、借りなくなる
個人的な話をしなくなる

などの方向に行きがちですね。

逆に、信じられる相手がいる場合

何かを頼むことができる、頼まれたりする。
頼れる、頼られたりする。
時には断れる。
お金の貸し借りが必要であればあってもいい。
個人的な話をする、個人的な話を聞ける。

ということをイメージできるはずです。

お金の貸し借りだけは、どんなときでも
状況と立場によって、様々な考え方があると思いますので
ここでは少し曖昧にしておきますね。

この信じられる、られない状態を一言でまとめれば
「自分のものをシェアする(出来る)」か「しない(出来ない)」か、になります。

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 ◆人を信じられなくなる体験
 
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相談を受けていて、いつも感じることは
過去に辛い体験として、いじめや、虐待を経験すると
そこから先の人生で、人や未来を信じられなくなりがちだ、という事実です。
それはムリも無いことです。

もし仮に、私は人を信じられるのだ、未来は明るいのだと
確信を持って言えるアナタならば
そのことに感謝しなくてはいけないでしょう。

生存を脅かす、とは大袈裟かもしれませんが
残念ながら、子どもの頃に、たいていの人は人を信じられなくなるような経験をしているはずです。
大人になってからは、誰かに悪意を持って騙されたり、裏切られることも、出てくるでしょう。

こうした体験や傷を越えて、癒して
先の人生を生きていくためには、何が必要なのでしょうか。

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 ◆信用と信頼はずいぶん違う
 
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これを考えるとき
いつも私が考えるのは「信用する」ことと「信頼する」ことの違いです。

「信用する」できるのは、一般的に何か、信用するに足りる事実があるときです。
銀行がお金を貸してくれるのは、担保があるからとか、資産があるから
アナタを信用して、お金を貸してくれるわけですよね。

「あなたはお金を返せる人だと、担保や資産によって、信用している」という意味です。
別な言い方をすれば
信用するとは
「アナタは私の期待を裏切らないと信用する」となります。
お金の問題などでは、よくこの信用問題が大事になりますね。

では、「信頼する」というとき、何を考えるのでしょうか。
私はこの場合、相手は自分の期待を手放して
相手の存在の仕方を、そのまま受け入れることを考えます。
なので、相手が自分の期待通りに振る舞わなくていい
相手が選んだ事を、そのまま全面的に受け入れることを考えます。
期待通りにならないこと、全てを受け入れることは「リスク」かもしれませんが
それを引き受けることにする、という意味です。

私が相手を、信頼できるかどうか、には
証拠も、資産も、過去の実績すらも、あまり関係がありません。
ですから、「信用」よりも「信頼」のほうが
自分のなかでの責任とリスクが高くなります。
「信用」が裏切られたら、相手の責任にしてしまいがちですが
「信頼」は相手の責任にできる問題ではないからです。

信頼する

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 ◆個人的な信頼の確かさ
 
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ここでは根拠のある「信用」ではなく
むしろ「信頼」について考えます。

冒頭の話の繰り返しになりますが
私たちが誰かや何かを信じる、とは、たぶん個人的な信頼のことなのです。
そういう相手には、多分、自分の何かをシェアできるでしょう。
したいと思うでしょう。

その時に、約束が守られるかどうか。
その判断は、どうしても欠かすことが出来ません。
誰彼と、かまわずに信頼し、自分をシェアしていたのでは…
自分の悩みや弱みを打ち明けたりしていたら…
ちょっと収拾がつきません。

ここら辺は、普段、あまり意識せずに行っている判断かもしれませんが
よく振り返ってみると、何が基準になっているのでしょうか。
私が誰かを信じるとき、自分の中で何が起きて、どう判断しているのか
私も、自分に問いかけてみました。

個人的な話や秘密を打ち明けても
それを無条件で受け入れてくれるか
誰にも話さないでいてくれる人か。
お金を貸しても
その人らしく、豊かになる方向に使ってもらえると思えるか。
万一の場合、返してくれなくてもいい、と思える相手かどうか。
お金を借りる時に
妙な上下関係や契約関係にならずに、自分を信頼して貸してくれる相手かどうか。
お金の貸し借りで、関係が壊れない相手かどうか。
(お金の貸し借りについては、自分なりにルールがあるのですが、ここでは触れませんね)
何かを頼んだとき、無理のない範囲で快く受けてくれるかどうか。
何かを断ったとき、それで関係が壊れるようなことがないかどうか。

そして、相手が、そういう人かどうかの判断は
「その人が何を言ったか」ではないのが、面白いところです。
「その人の雰囲気」や「直感的に伝わってくるもの」
「その人の普段の行動」を、私は判断基準にしているのだと思います。

この、ほとんど直感的としか、言いようがない判断は
それほど間違うことがなくも感じています。

そして、誰かに裏切られた、人が信じられなくなった
という話を聞く場合
この直感に逆らって動いてしまったばかりに、そうなってしまったケースが
多いように見えるのです。

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 ◆直感は正しいことが多い
 
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そうなると、次の問題は
「その人の雰囲気」や「直感」を、本当に信じて行動できているだろうか、という事です。
心の中で、直感が働き、警報が鳴っていたのに
それに従えない時があったとすれば、あなたの中で何が起きたのでしょうか?

相手や周りの雰囲気に押されてしまった
相手の「甘い言葉」を信用して、だから信じることにしてしまった
恋愛感情や、何かの欲に取り憑かれていて、そうしてしまった。
自分の直感に自信がない
ノーを言うのが怖い
自分を陥れようとしている人がいる、ことを認めるのがイヤだから。
ということがあり得ます。

上に書いた直感は、第三チャクラの働きと言われるものです。
もう少し具体的に観察すると
何かある時には、身体の感覚を通してのサイン、信号が反応し
警報を発してくれるものです。
それは、微かなものかもしれませんが「必ず」知らせてくれるのです。
ザワザワした感覚、どこかなんとなく引っかかる
一抹の不安、身体のしびれやむかつき、躊躇(ちゅうちょ)…
等々のサインは、どこかに現れているはずです。

つまり、誰かや何かを信頼(信用)した結果、ひどい目に遭っているとすれば
それは相手の問題ではなく、身体が知らせてくれたはずの直感と警報を
受け取っても、信じることが出来なかった、場合ではないでしょうか。

ちょっと厳しいですが、私はそう感じるようになりました。

 

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 ◆直感を信じられる自分とは
 
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だからこそ「信頼」のテーマで忘れてはならないのは
まず、自分を信頼する、信じる、ということです。

「自分を信じる」という言い回しは、あまりによく使い回されすぎていますが
具体的にはどういうことを指しているでしょうか。

コツコツと努力して積み上がる自信は
「信用する」に対応に近いです。

ては、自分を「信頼」出来るとしたら
何がそうさせているのでしょう?
努力や積み上げの量がそうさせているのでしょうか。
恐らく信頼は、たった今の自分の、ダメな所も含めて
受け入れて愛することができる。
という事なのではないか、と思います。

努力できない、イヤミなところがある
ずるかったりもする
そういう一面を持つ自分を知っていて、なおかつ、受け入れて許していること。
そういう自分を愛せること。

これが「自分を信頼する」ことではないでしょうか。

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 ◆ゲシュタルト心理学の言葉
 
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同じことを何度も書いているようですが
理想の自分像に近づけば、そのまま自分を信用・信頼できるようになるわけではない、ということです。
理想に近づくように努力するのは尊いことです。
でも、その時、いまの自分の中にある傾向を否定して、無くそうとするならば
その理想は決して手に入らず
あなたは、自分で自分でないものを永遠に追い求める
地獄を創り出してしまうかもしれません。

理想の自分になれない、そういう自分を認めて許している状態を作ることが
「自分を信頼できる」状態です。

自分を信じる

「ゲシュタルトの祈り」というのを聞いたことがありますか。
私は、ゲシュタルト心理学を中心に学んで
教育分析を受けてカウンセラーになったのですが
その時に教えていただきました。
とてもステキなので、ご紹介させてください。

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 私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
 私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
 そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
 私は私。あなたはあなた。
 でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それはステキなことだ。
 たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

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これは、私がとても大好きな言葉です。

そして私は、自分でこうして付け加えたいと思います。

・私は、自分の期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

ということです。
私はただ、私自身であればいいだけなのです。
自分を叱咤激励して「素晴らしい何者か」になるのが
なぜ必要なのでしょうか。

あなたもただ、あなた自身のままでいることに意味があるのです。
そういうあなた自身を愛する事ができれば
それは、「自分を信頼している」ということですし
そこから始まって「身近な誰かを信頼できる」あなたなのだと思います。

自信が無くて右往左往する自分も
間違いばかりで、失敗だらけで、ため息ものの自分も、
過去の傷が原因で人を信頼できない自分をも
全部自分なのだと、認めて、許して、愛することが出来るとすれば…

そこから始まって
側にいる誰かに、もっと優しくなれるはずです。
目の前にいる人を信頼して、大切なものをシェアしようと思えるはずです。
そして、より深い繋がりを体験できるようになるでしょう。

まずは、心の傷を癒してください。
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