スピリチュアルであること

先日友人と話していて、「スピリチュアル」って何だろうという話になりました。
勘違いされている場合もあるよね、って。
そして、すかさず「じゃあ、Mさん、スピリチュアルって、どういうイメージ?」と突っ込んだのですが
うーん、と言って少し悩んでいました。
実は、この質問は、私も即答しにくいです。
一口にこう、と言っても、それが逆に本質でない気がします。

私にとって「スピリチュアル」とはどういう意味なのか、
掘り下げて書いてみたいと思います。

これはあくまで、私のストーリーで、私にとってのスピリチュアルです。
正解だと言いたいわけじゃないのです。
その人には、その人なりの「スピリチュアル」があるはずなのです。

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 ◆霊能力のことではなさそうです。
 
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霊能力とは、ヒーリング能力、チャネリング能力と言われる場合もありますし
直接には、幽霊が見えた!とか
天使が見えたり、何かの声が聞こえたり
つまり、見えない世界を感じることができる能力とでも言いましょうか。

でも、こういう能力と、スピリチュアルは
直接的には関係ないはずです。

スピリチュアルを学んでも
沢山のヒーリングを使えるようになるわけではないですし
チャネリングを使って、言葉を下ろせることもありません。
もちろん、霊能力で世界を動かしたり
災害を止める(大地震や富士山の噴火)ことができるわけではありません。

もちろん、その人の前世が分かるとか
自分の前世が分かるとか、そういう話でもありません。
サイババに会えるわけでもありません。
それは全く別な問題です。

スピリチュアル

ここら辺は微妙な勘違いなのですが
神社巡りや、セドナやヒマラヤなどの聖地巡礼をすることも
ちょっと違います。関係ありません。
周りにいる人の感情や、エネルギー状態に敏感になり
その影響を受けてしまうことも、ちょっと違っています。

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 ◆スピリチュアルとは、不思議な体験ではない
 
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わたしは、このスピリチュアルという言葉に馴染みはじめたとき
最初に読んだ本が
バーバラブレナンの『光の手』という有名な本でした。
その中では著者が、幽体離脱して高次のエネルギー体の方々に招待される話が書かれていました。
それは、会議のようなものだったのですが
宇宙で進行している深淵な計画に、彼女は選ばれて参加しているということだったのです。

本の中で、彼女は高次の何者かにレッスンを受けて、ヒーリング能力がどんどん磨かれ、自分が高次に近づいていくようでした。
これから起きる事を、高次な人に告げられたりして
実際に、それがその通りに起きたりする経験をして行きます。
バーバラさんはとてもすぐれたヒーラーで有名となり
ヒーリングスクールを主催しています。

正直、私はすごく憧れていました。
私も彼女のように、いつか何者かに選ばれて、類い希なる高次な能力を発揮したかったのです。
いまになると不思議なことを言ってるようですが
本気でそう考えていたんです。

いまでも、大きな書店の精神世界のコーナーを回ると
そういう本は置いてありますから
そこで、自分に必要な言葉に出会うかもしれません。
私も助けられたことがあります。

でも、いま思うと
これは別にスピリチュアルとは関係ないんです。

極端に言えば、私が憧れたものは、エゴ様です。
エゴ様は、自分は特別な存在なのだ、と思いたくて、言って欲しくて仕方ないのです。

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 ◆誰かに選ばれること、誰かを救えることではない
 
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ですから、スピリチュアルは
不思議な体験とか、降臨ではないのです。
自分の子どもや自分自身が
インディゴチルドレン、クリスタルなどではないかと
考えられる事でもないです。何かに選ばれることではないのです。

もちろん、これは宗教でもありません。
物質世界を否定しているわけではありませんし、清貧の思想でもありませんし
菜食主義とも関係ありません。
何かを信じることによって、救いを待っているわけではありませんし
天使のような何かになろうとしたり
他人様の救世主になろうとしたりもしません。

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 ◆あれでもない、これでもない…
 
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ずいぶん、否定に否定を重ねてきましたが
これらの匂いがするもの、全てが、スピリチュアルではない
間違えていると言っているわけではないのです。

スピリチュアルではない、と私が否定したものは
私が嫌いだからとか、悪いものだとか
そういうことではないのです。

ただ、それらのもの事態をスピリチュアルだと思ってしまうと
逆に、スピリチュアルの本質から遠くなる気がするのです。
実は上記のものの中には、私が大好きなものも含まれています。
でも、それがイコール、スピリチュアルではないのです。

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 ◆状態として、態度としてスピリチュアルであること
 
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スピリチュアルとは、どこかに存在している確固たる物や
思想ではありません。

スピリチュアルとは、何かに関わる時のその人の精神性、モノの考え方など
状態のことだと私は思います。
ですから、ヒーリング講座に出て資格を取ったり、チャネリング能力が備わっているのだけど
全くスピリチュアルではない人、もいるわけです。

でも、そういう能力を何も持たなくても、「おはよう」という挨拶が、深くスピリチュアルな人だって存在するのです。

この違いのイメージ、沸きますか?

例えば、スーパーで牛乳を買って、レジでお金を払います。
その時に

自分はお客様なんだ
なんでこんなに高いんだ、もっと安く売れ
これの原価はいくらぐらいで、この値段はおかしい
店員の接客が悪い

と考える事も出来るし

この一つの牛乳が私の手に渡るまでに、
どれほど、たくさんの人の思いや、仕事を通ってきたのか、
牛が草を食べて、搾乳されるところから始まり…
と考えると
それは一つの奇跡かもしれない…
そして私が払うお金は、受け取る人を、みな幸福にする可能性もあるのだ…

と、極端に言えば
そうやって思いを馳せることも可能なわけですね。
どちらでもいいんです。

ニュアンス、考え方、接し方の問題なのです。
例にあげたスピリチュアルな人が、非現実的な「いい人」に読めてしまうかもしれませんが
何も「いい人になること」がスピリチュアルではありません。
「全然スピリチュアルではない、俗物の自分」を知っている人の方が、逆にスピリチュアルかもしれないのです。

「俗物の自分」を知っているからこそ、そういう自分を受け入れて生きていることは、とてもスピリチュアルです。

自分を知る

何がスピリチュアルなのか、については
まだまだ出てきそうですし
まだまだ言い切れません、探究の余地もあると思います。
時期が来たら、また続きを書きますね。

スピリチュアルではない自分を自覚するために「108回音読する元型」
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