期待を手放す

みなさん、こんにちは

以前に、イハレアカラ・ヒューレン博士の「ホ・オポノポノ」のセミナーを受講しました。
その前には二日間のクラスを受けたので
今回は2時間ほどのセミナーです。

ヒューレン博士は、数年前からビジネスのための「ホ・オポノポノ」のクラスを作っていて
それもとても興味があったのですが
なんと本も出されていました。

『豊かに成功するホ・オポノポノ 愛と感謝のパワーがもたらすビジネスの大転換』

ソフトバンククリエイティブから出版させています。

基本は全く普通のホ・オポノポノそのままで
ビジネスに応用したもののようです。

私は今回の2時間のセミナーのおかげで
身体で分かったという感覚になりました。
以前に、消化しきれなかったものが腑に落ちたような。

この「豊かに成功するホ・オポノポノ」は自信をもって推薦できるものです。
なぜなら
「エゴに支配されない、スピリットで生きる人生へ」
のヒントがたくさんあるからです。

様々な事をある程度理解したい人には「ニュー・アース」を
実践を積む事に重点のある方、簡単なのがいい方は
「豊かに成功するホ・オポノポノ」がいいと思います。
いずれ、両方読むといいかな、とは思いますが。

それとも関連しますが今日のテーマは
「期待」は地獄を創り出す、です。

タイトルでいきなり結論を書いてみました。
「そうよね」と思う方は読む必要ありません。
「えーーーーーっっっっ」と思う方には是非、読んでいただきたいです。

という事でぜひ、読む前にエクササイズをしてください。

 今、あなたは何か期待している事がありますか?
 ここで、先を読み進む前に、期待している事を紙に書き出してください。

できるだけ
「後でやろう」と思って、次を読んでしまわず
エクササイズを終えてから、先に進んでみてください。

実は、私自身が、よくそうしてしまいます
読んで頭で分かったつもりになり
先に行ってしまうのです。
でも、今ここでやる方がお得です。

ハートで分かる体験があるかもしれませんから。

などと、私は自分が出来ていない事をお勧めしているんですから、
おこがましいですが…(>_<) ☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆    ◆期待の結末は?   ☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆ 期待するとは、どういう状態でしょうか。 「あれがああなるといいな…」 「あの人がこうしてくれるといいな…」 「将来、そうなったらいいな…」 「きっとこうなるに違いない」 「当然あなたはそうするわよね」 あるいは ファンの、親の、上司の期待に応えようと頑張る、場合 期待に応えた後に得られるものは、 その人たちの評価や感謝などでしょうか。 いったい、何が得られるのでしょう。 もしかしたら行動した後に 評価や感謝を得られる事を「期待」しているかもしれませんね。 「頑張る」ことについては昨日、書きましたので ここでは先に進ませていただきます。 辞書によると期待するとは 「当てにして心待ちにすること」だそうです。 なので、自分の行動ではなくて 誰か他者の行動を「当てにする」ことですから エネルギーの重心が自分自身にではなく、自分の外にあります。 それは、かなり不安定です。 そして、エナジー心理学の法則の一つでもある、  「他人を変える事は出来ない」 に引っかかっていることが分かります。 他人を、自分の都合のいいようにコントロールする事は出来ません。 期待する、というのは 相手が自分の都合のいいように動いてくれる事を 無意識に当てにしているのですから 必ずいつかどこかで「裏切られる」ことになるはずです。 私たちは 誰かの期待に応えるために 生きているのではないですから 相手とて同じことです。 そのとき、相手が自分の思い通りに動いてくれなくて 「裏切られた」と思い込んでしまい 「犠牲者」元型の暴れるままに過ごすとしたら それは、もう立派な地獄です。 悪いのは、自分の思い通りに動いてくれなかった相手 だと思いながら、落ち着かなくなるわけですから。 期待

☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆期待、は何を求めている?
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

何かを当てにする時
私たちは「自分には責任がない」と思ってはいないでしょうか。

でも、実際には
起きる事の全ての責任は自分にあります。

だから、何かを当てにする事は
ほんとうは全て、間違いなんです。

何かをしてあげたから

 お返しがあるはず、

 感謝されるはず、

 何かしてもらえるはず、

 優遇されて当然、

 自分にもいい事があるはず、

と期待することは、やめて、考えなくてはいけません。

我が子なんだから、ということで

 成績がいいはず、

 なんでも言う事を聞くはず、

 悪い事はしないはず、

 特別な才能があるはず、

 親の言う事を聞くべき、

という種の期待も、基本的には誤っていると思います。

同様に
パートナー(恋人、夫婦)なんだから、

 私の為に○○してくれるはず、

 いつも私の都合を最優先してくれるはず、

 誕生日には豪華なプレゼントをくれるはず、

 私の気持ちを、言わなくても分かってくれるはず、

 十分なお金を稼いで来てくれるはず、

 一生涯、私一人を愛してくれるはず、

とだと思い込み、期待することも、やはり間違いでしょう。

あの人は、学校の先生なんだから、

 品行方正の素晴らしい人格者のはず、

 うちの子どもを道徳的に導いてくれるはず、

 成績が上がるように指導してくれるはず、

 いじめがないようにクラスを運営してくれるはず、

なんていう期待を持って、相手にそれを求めるとすれば
そこにも間違いが生まれます。

こうやって書いてみると、期待というのは
相手にこうしてほしい、こうあってほしいという
「下心」があるっていう事ですね。

下心があるなら、それを「期待」するのではなく
自分が何を望んでいるのかを深めて、探求して
ストレートに相手に伝えたり
あるいは
そこで、自分で行動してしまえばいいのです。

自分の下心に気付いた時、相手にただ期待してしまうか
自室に30分引きこもって自分を探求するかどうか…
そこらへんが鍵なのだと思います。

「私は○○になる事を期待している。でも結果を手放します」
と心から言えればよいのですが。

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 ◆念じることは、さらに重たい
 
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他者への期待がさらに重くなると「念じる」になります。
これはもう、ちょっと怖いですね。
強烈なエゴです。

念じるのは、未来の事で、自分だけでは
成就しない事を強力に意図するエネルギーです。
様々な要因があって、絡み合っているこの世の神聖な動きを
念じることで
自分の都合で、ねじ曲げようというのですから

それはもう相当なエネルギーです。

というか、今起きている事は
実はなにがしかの祝福なのだ、と受け取れない時
起きる事の全ては正しいし、全ては実は美しいのだ、
天の織りなすタペストリーの一部として、たった今の瞬間は輝いているのだ、
という実感がないとき…
あるいは
いま起きている事は
不幸で不公平で我慢できないものだ、と感じられるときなど…

私たちは、なんとしてでも未来を変えたくなるので
念じる、ということに
結びつきがちです。

これはとても重いエネルギーです。

希望を持つ事
祈る事と念じる事は
全く次元が違います。

希望や祈りは、もっとずっと軽いエネルギーです。

希望を持つのは、

 こうなったらいいな、

 ああなったらいいな、

 苦しみがより軽くなるといいな、

というような気持ちです。

祈るとは、誰かの苦しみが軽くなるように
全く見返りも結果も期待せずに、天に希望のエネルギーを届ける行為です。

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 ◆なるべく優しいエネルギーで
 
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この世に存在するものは全て、必要があって存在しているので
期待する事も、念じる事も
それはそれで、実は正しいのだと思います。
それもまた宇宙の意図の一部になっているはずなのです。

でも、自分自身がそしてご縁のある方達が
出来れば、より軽いエネルギーで生きて欲しい、と私は思っていますので
それを祈っています。

あなたが、結果を全く期待せずに
希望や祈りのエネルギーで生きてくださることを望みます。

そして私も結果を手放せるように、します。

解放