生まれ変わり

善と悪、死と再生
というと大げさに聞こえてしまうかもしれませんが
最近、そういう話が耳に入ってきます。

私も微力ですが
何かお伝え出来るかもしれない、と希望を持ってこれを書いています。

何度か似たような事を書いているのですが
あらためて考えました。

スピリチュアルな世界に足を踏み入れて以来
面白そうな様々な体験をしたり、
癒される体験をしたり
誰かの本を読んだりしているうちに
誤解する事があります。

例えば…

・見えない世界の能力を持っている事が、スピリチュアルだ。

・見えない世界の能力を使った体験をさせてもらう事が、スピリチュアルだ。

・見えない世界の能力を持っている人は、人格も素晴らしい。

・人は「愛と感謝」を体現する事が最高で、怒りや嫉妬などを感じてはいけない。

これらは全て、大きな勘違と言えるものでしょう。

私の言うスピリチュアルとは

「深い精神性・宗教性を持ちながら、この世を生きようとすること」
です。

その人の持っている能力や
いい人かどうかとは
全く無関係ですし
怒りや嫉妬がありえない、ということではありません。

ヒーリングやチャネリングが出来るけれど
スピリチュアルではない人も沢山いらっしゃると思います。

そして一番誤解の多いのは
能力と人格についてなのではないか
という気がするので
今日はその事を書きます。

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 ◆能力へ誤解
 
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最近は、チャネリング能力、ヒーリング能力、霊能力などが開花したり
それらを
スクールなどで身につけるコースもあるようです。

能力は道具です。
道具は使うためにあるけれど
使うのは自分であって、
あえて、使わない選択もあります。

道具に使われる、振り回されると
自分も周りも辛いですね。
能力は道具であって
どこまでいっても、あなた自身ではないです。

・私はヒーラーだ。

・私は霊能者だ。

・私はチャネラーだ。

というように
「私」と「道具」が「イコール」になることはないはずで

道具である能力にアイデンティティを持ってしまうのは
とても危険です。

あなたは金槌を持っているかもしれない。

あなたはミシンを持っているかもしれない。

そういった道具と同じようなことで
能力も道具でしかないでしょう。

あなたは金槌を持っていても
絶対に「私は金槌だ」とは言わないでしょう。

あなたはミシンを持っていても
「私はミシンだ」とは言わないでしょう。

でも、なぜだか物体ではない能力になると
勘違いするのです。

・あなたはヒーリング能力を持っている人です。

・あなたは霊能力を持っている人です。

・あなたはチャネリング能力を持っている人です。

こういう書き方をすると、ちょっとスッキリしますね。

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 ◆道具は自分ではない
 
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能力イコール自分だと思うと
面倒な事が起きてきます

ちょっと考えただけで
皆さんもいくつか、思い浮かべられると思います。

・能力に依存して、自分の心の安定を得ようとしがち。

・能力がなくなる事に恐怖感があり、能力に執着する。

・能力がある事で、自分が素晴らしい人間だ、選ばれた人間だと思いたくなる。

・能力によって人から尊敬されるので、本当の自分を出しにくくなる。

・自分の能力にプライドを持ち、自分は素晴らしい人間だと思う。

・人や時代、地球を救えると思いこむ。

・自分は何者かに選ばれた特別な人間だと思いこむ。

こうなると、能力にしがみつくようになるだけでなく
能力への「欲」が膨らんできます。

もっともっと能力が欲しくなり
自分を優位な位置に置きたいと思います。
能力を手放せなくなってゆきます。

自分がどれほど素晴らしい能力者なのかを
人にもっとアピールしたくなります。

これは結局、エゴ様に振り回されている姿です。

能力そのものは
決してあなたを幸せにはしません。

能力に執着していると、
幸せどころか、様々なややこしい事を引き寄せるでしょう。

自分は能力があって
選ばれた素晴らしい人間なので、
対立するのは
相手が間違っているからと考えるでしょう。

本来のあなたではない虚像を自ら作り上げ
その虚像を維持するために
膨大なエネルギーをロスする事になるでしょう。

冷静で客観的になれれば分かる事も
見えなくなってしまいます。

なので繰り返しですが
能力は道具であって、あなた自身ではないんです。
能力に依存している自分
振り回されている自分に気付いたら
能力を捨ててしまうことを提案します。

これは、かなりキツイことのようですが
そのほうがいいように思います。。
能力に依存したり執着していたりしなければ
能力を捨てる事にそんなに大きな躊躇はないはずですから。

自分の事として真剣に考えてください。

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 ◆道具を捨ててしまう
 
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能力を捨てるだなんて
大胆な提案でしょうか?

いま、能力があるから
あなたの周りに人が集まるのだとしたら…

能力がなくなったら
あなたの周りには誰もいなくなるのでしょう。

辛いかもしれませんが
そこから始めたらいいんです。

何も特別な所のない、平凡な自分に立ち戻って、
そこから貴方らしさ、素のあなた
本物のあなたを探せばいいんです。

能力がなくなっても
あなたの周りにいてくれる人は、

あなたの本当の姿を感じていて
本当にあなたを信頼してくれている人です。

「お金のある間は人が沢山群がっていて、お金がなくなったとたんに人がいなくなる。」

っていうのがありますよね。
あれと構造は同じなんです。

お金のある時に群がっていたのは
その人を好きで
その人を信頼していたのではなく
欲が膨らんで
お金に引き寄せられていただけ…ということもあるでしょう。

能力でも同じ事が起きるんです。

そして
お金=あなた、ではないように
能力=あなた、でもありません。

あなたが自分の能力に依存して
能力に執着している度合いが高ければ高いほど
それを捨てるのは難しいでしょう。

よほどの事がなければ
それが出来ないようになってしまいます。

しかし、そこを変えるような
チャンスの訪れた方もいらっしゃったはずで

それは「死と再生」の「死」の体験です。

この体験の後
それでも、また同じように自分の能力に依存・執着しつづけるとしたら、

「再生」する事が出来ずに
「腐乱死体」になってしまいます。

そしてますます
以前よりも強く、能力に依存・執着するようになるでしょう。
それはもう
救いのない悪循環にはまってゆきます…。

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 ◆捨てたから、やり直せる
 
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でも、もし仮に
能力を捨てた「死」の後に
「再生」する事ができたら
何が起きるのかを少しお伝えします。

リアルな自分の姿に気付いて
愕然とするかもしれない。

あなたの能力に依存していた人たちが
去るかもしれない。

友人だと思っていた人が
いなくなるかもしれない。

冷たい言葉を浴びるかもしれない。

プライドがずたずたになるかもしれない。

アイデンティティの崩壊を体験するかもしれない。

虚脱感や空虚さに襲われるかもしれない。

これはどれも辛いことで
虚脱感や空虚さは
もともと貴方にあったもので、あなたが見ようとしなかった、避けてきたものです。
厳しいようですが、それが戻ってきただけです。

にもかかわらず
逆に、あなたは「自由」になります。

ある種のすがすがしさ
開放感、のびのびとした感覚を味わうでしょう。

花の美しさ、風の心地よさの感覚が
深化するでしょう。

そして能力が本質的に貴方に備わっているものだとしたら
少し形を変えて
より魂的、根本的なものとして
あなたの中に現れてくるでしょう。

あなたが心から喜び・楽しみながらそれを使い
周りの人たちにも自然に喜んでもらえるようになるからです。

あなたはそれに依存せず、執着せず
「無」で使う事が出来るようになるでしょう。

そのような「死と再生」のプロセスは
まさしく自分が招き寄せたものだと気付くでしょう。

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 ◆愛と感謝への憧れ
 
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能力と人格とは別だ、と何度も言っていますが、
今度は人格の方です。

スピ系の世界ではなぜか
「愛」が非常に素晴らしいものだと思われています。

確かに素晴らしいんですが

愛の人、愛と感謝の人になりたい、なるべきだ
私はすでにそうなっている、

だから怒りや恨み、嫉妬などを感じてはいけない
そういう段階は私はもう終了した。
と思うとしたら、それも大きな勘違いです。

そんなに簡単にはいきません。

何も面倒な事が起きていない時はいいのですが、

何かあった時、怒りや恨み、悔しさや哀しみなどが湧いてきて、

それがなかなか解消されないことがありますよね。

怒りや恨みを持っている時
それを意識しているのは辛いです。

怒りや恨みを感じている自分
というものがイヤだったり、
怒りや恨みを感じる感覚がイヤだったり、
怒りや恨みを持っている人ではいけないと
思ったりするでしょう。

怒りや恨み、悔しさや哀しみなどは
「レベルが低い」という感覚・価値観を持っていませんか?

だからそういう自分ではいけない、と思ったりしませんか?

それもエゴ様のなせる技の1つです。

そう簡単に、むかつく出来事を愛せるようになるなら、
人間でいる必要は多分ないでしょう。

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 ◆スタートはマイナス感情にある
 
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では、怒りや恨み、悔しさや哀しみを感じていて、
それが消えない時にはどうしたらいいのでしょうか?

感情を否定しない事です。
あらゆる感情は正しいですし
感情を感じる事は正しいです。

ただ、それを流せないと
いつまでも体内に溜まって固着してしまいます。

それは何かあるたびに
フラッシュバックして
あなたを苦しめたり、

あなたの価値観や世界観を狭めたり、
病気や身体の不調に姿を変えたりする事があります。

それが問題なんです。

人として成長して
広い視点とキャパと許しの心が育つと
怒りなどの感情を感じても
すぐに昇華できるようになります。

そういった感情を感じる回数が
どんどん減っていくはずです。

起きている感情を感じなくなるのではなく、
気にならなくなったり
気になっても素早く昇華できるようになります。

そうなるためにはどうしたらいいのでしょうか?

まずは感情を
素直に、しっかりと感じ尽くす事です。

感じ尽くすというのは
怒りが湧いてきた時に、自分は怒っているんだ
としっかりと自覚してください。
それからその怒りを味わうんです。

起きた出来事の、どの部分に怒りを感じているのか、
出来事の場面を細分化して
あえて「ここが一番許せない」という部分を特定します。

そこに意識を集めて
怒りの奥にあるものを深く感じてください。

その時の身体の感覚にも注意を払ってください。

身体のどのあたりに
どんな感覚があるのか、それを色で表したら何色なのか、

堅さや柔らかさ、形なども見つけます。

ひょっとして
そんな事をしていると
過去の似た体験が浮上してくるかもしれません。

でも、それも一緒に味わいます。

このような、自分の感情に丁寧に向き合う事は
最初はちょっと辛いですが
味わいつくしていると
感覚が変化してくるはずです。

「ああ、こういう感情があるんだ」と
認めるだけで成仏してくれる事もあります。

そしてマイナス感情を愛に変えて行くプロセスは、こんな風です。

1.イヤな出来事が起きる。

2.怒り、恨み、悔しさや哀しみなどを感じる。

3.それをしっかりと味わい尽くす。

4.そういう自分でいいのだ、と自分を許す。

5.そういうイヤな出来事を引き寄せた・創り出した自分を許す。

6.イヤな出来事と同じものが自分の中にある事を認めて、許す。

7.何をそこから学んだのか、言葉にして表現する。

8.その気づきのために、相手がしてくれた役割に感謝する。

9.相手を許せるなら許す。

10.まだ相手を許せないなら、許せない自分を許す。

行き着くところ

許す事を積み重ねていくと
そこから「愛」が生まれて来ます。

そこで始めて
あなたは「愛の人」に近づいていく事が出来ます。

こんなに書いてしまっていいのだろうか…と思いつつ
溢れてくる言葉を押さえずに表現しました。

読んで、どこかで痛みや違和感を感じたら、それは宝です。
その痛みや違和感を大切にしてください。