意識して「逃げる」

最近「メールdeカウンセリング」のお申し込みが増えていて、
なおかつ、多くの方が真剣に
「自分自身」に取り組んでくださる事が嬉しいですヾ(^∇^)♪

こうしてブログなどを読んでいただくことで
多分、視界が開けてゆくのでは、と思いますが、
盲点になってる部分は
書かれている事を
自分の事として、実感として受け取るのが難しいんですね。
それは私自身もそうですし、難しいことだと思っています。

そのための「メールdeカウンセリング」ですから
活用していただきたいのです。

これまで何度か「逃げてもいい」んですよ、
という事をお伝えしてきましたが
そして勿論、「戦ってもいい」んです。

これはとてもよくあるケースですが、
逃げてはいけない
というすり込みの強い方にとっては、
逃げない=「嫌な状況に納得できないままに耐える事」に
なっているのかもしれません。

もう一つ感じたのは
「逃げない」を選択したとして
具体的にどうしたらいいのかが
よく分からない、という事です。

逃げないのなら戦うしかない、として
どう戦えばいいのでしょうか。
戦い方は、後で少し書きますね。

実はもう一つ
「逃げないけれど戦わない方法」があるのですが、
今回はそれに触れない事にします。

というわけで、逃げる事と戦う事を考えてみましょう。

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 ◆逃げるか、戦うか
 
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逃げるか、戦うか

現代社会はストレスに溢れていますね。
例えば電車で痴漢にあったとします。

選択肢は

1、ただ耐えて最後まで我慢する
 (車内を移動できれば移動を試みる。そして次の駅で下車して別の車両に移る。)

2、手を掴んで大声を上げる。次の駅で車掌さんに引き渡す。

基本はこの二つでしょうか。
あとは乗り合わせた周りの人たちの反応で
少しバリエーションが増えそうですね。

おわかりだと思いますが
1番は「逃げる」に相当する行動パターンで
2番は「戦う」パターンです。

まず、1番の「逃げる・耐える」を選んでいる時の事を考えましょう。

自分にとっては非常にストレスに巻き込まれている時は
自分では状況をコントロール出来ない無力感と
一方的にされるがままの
被害者意識、憎しみ、
自分に非があるのかどうか
ここで逃げたらまた同じ事が繰り返されるとか、
ともかく逃げるのは卑怯だとか悔しいとか
様々な感情が付随しています。

そして「怒る」事が当たり前の場面なのに、
怒ってはいけない
というストッパーがかかっている方が案外いらっしゃいます。
愛と感謝の人にならなければならないので
むやみに怒ってはいけないとか、
怒りの波動は低いから出してはいけない
と決めてかかっている方もいらっしゃいます。

何度も同じ事を書きますが
全ての感情、そのものは正しいんです。

怒りもあっていいんです。
怒りを、無理に抑圧するのは止めましょう。

怒る時には怒りましょう。
と言っても、それが出来ないから大変なんですよね。
その事はまた改めて書きます。

起きている事のストレスだけでなく
状況を受容できないままに
「耐える」をしていると
自分の心の中が地獄になってしまいます。

被害者意識、無力感、自己否定感の連続ですね。
これはとても辛いです。
それに「耐え」なければならなくなったら
さらなる地獄です。

あるいは、負けると分かっている戦いはしない方がいいです。
相手があなたの現状に比べて
圧倒的な強さ(肉体的・精神的)があると感じたら、
一目散に逃げましょう。

戦う事に意味がある、と確信しているなら別ですが、
まずは自分を守りましょう。

今の日本では
具体的に命の危険が迫る事は少ないと思いますが
それでも突然に
ナイフを突きつけられるとか、棍棒で殴られそうになるとか、
周りを囲まれてリンチされそうだとか
そんな時は、あなたの戦闘能力と相手の戦闘能力とを瞬時に判断して、
逃げる時には、逃げるしかありません。

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 ◆ストレスに慣れすぎている
 
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よく出す例ですが
マヒしてしまって逃げられなくなる事があります。
カエルの話です。

水を張った器の中にカエルが入れられています。
最初は普通の水なのですが、
器の下から熱を加えて
だんだん水が温かくなってゆきます。
だんだん暖かくなってゆくので
暖かいな~と思いつつもそのままにしていると、
そのうちにお湯が煮たってしまい、カエルは茹でられて死んでしまうそうです。

もし、いきなり熱湯に入れられたら
反射的に飛び出すでしょう。
でもじわじわと熱くなってゆくと
そのストレスに気付きにくくなるという好例です。

あなたは茹でられたカエルになっていませんか?
長い間ストレスにさらされていて
マヒして、逃げ出す事が出来なくなっていませんか?

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 ◆戦うことと男性性
 
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電車の話ですが、別な人は2番を選んで
痴漢の手を掴んで大声を出すかもしれません。

そして次の駅で車掌さんにその人を突き出すでしょう。
いじめられている時には
「止めてください」とか「助けて~!!」でしょうか。
これは「戦う・NOと言う」のパターンです。

この時には「怒り」がある状態です。
その怒りを原動力にして
されるままの被害者を卒業し状況を動かします。

これが出来たら、すぐに怒りはなかなか治まらないまでも
そこから自己否定感はあまり起きないでしょう。

出来事にハッキリと「NO」の意思表示をして
自分で運命を切り開く。
被害者で居るのをやめて、行動を起こし
そういう自分を認めて肯定する。
上手くいくかどうかは別としても
スッキリするでしょうね。

この「戦う」事について、もう少し考えてみます。

力・腕力を使う戦いもあるし、
行動に表す事も出来るし、
ハッキリと言葉で「NO」と言うことも戦いです。

不条理な現実に言葉で「NO」と言う時
その「NO」が相手に通じるかどうかは別にしても、
怒りとともに「NO」というのは一種の快感がありませんか。

「NO」と言って戦う時には
自分にとって何が嫌なのか、自分はどう感じてどう考えるのか、
などを、あらかじめハッキリと考える必要があるでしょう。

そうすると「自分は誰なのか」という
永遠の問いにホンの少し近づくんです。

「それは私ではない」
「私はそういう状況は我慢しない」
「それは私にふさわしくない」
「私は止めます」
「私にそれをしないでください」
「私には出来ません」

というような言葉で表現されるような感覚。
それはアイデンティティに関わる事です。
自分自身を大切にする事です。
これを表明することで
健康的なアイデンティティに近づく事が出来るので、
ある種の快感があるのではないかと思います。

そして「NO」というのは
貴方の中のDNAに刻まれた男性性の機能です。
「NO」と言っている時には
あなたの中の男性性の機能が活性化しています。

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 ◆耐えすぎること
 
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とりあえず、痴漢を例に取り上げましたが
様々な場面でこういう「戦うか逃げるか反応」が起きていると思います。

逃げるとは、
さしあたって、命(身体)・心・魂の危険を感じて、その場から立ち去る事です。

相手が自分よりも圧倒的に強い場合
戦うよりは逃げる方が得策です。

なりふりかまわず、一目散に、理由など言う余裕もなく
一刻も早く立ち去るでしょう。
歩道を歩いていて、いきなり車がこちらに突っ込んできたら
迷わず逃げるでしょう?
これは考えるまでもありません。
同じ事です。

命や身体の危険を感じた時には
比較的スムーズに逃げられるのに、
心・魂の危険を感じた時
私たちは、なぜか立ちすくんで逃げられなくなってしまう方がいます。
衝撃にマヒしてしまっているのかもしれないし、
自己肯定感が低く、耐えることに慣れてしまったのかもしれません。

もう一つの大きな原因は、
日本人の女性性には「耐える」というDNAが組み込まれている可能性が高い、という事です。
あなたが耐えている時
女性性の機能が活性化しています。

日本では、耐えるのは美徳でした。
でも単に犠牲になるだけの「耐える」では
意味がありません。

繰り返しになりますが
状況を受容できないままに「耐える」ばかりだと
自分の心の中が地獄になってしまいます。

応用的に言えば
「状況を受け入れて創造的に耐える」「逃げない戦わない」
などの次元があるのですが、
その話は後にしましょう。

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 ◆逃げることを突き詰めると
 
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「逃げる」のテーマから派生して、

・出来るのにやらない
・出来るけどやらない

についても少し考えてみます。
この二つは全く違います。

「出来るのにやらない」という言葉から見えてくるのは、
やるのが当然な状況で
しかも能力はあるのにやらない。
ということですね。
となると、さぼりとか
我が侭とか面倒くさい、という言葉が聞こえて来そうです。

「出来るけどやらない」という
言葉から出てくるものは
能力があってもなくても
自分の生き方としてこれはやらない
という強固な判断が見えてきます。

「やらない」という決断をしている姿です。
自分がどういう人間として存在しているのかの表現ですね。

・出来ないからやらない
・出来ないけどやってみる

は、どうでしょうか。

「出来ないからやらない」のは一種の正解です。
自分の人生の長さを予測して
あなたの残りの持ち時間を計算してみると
いっそう明らかになります。

そこから睡眠時間や仕事の時間
移動時間や食事やお風呂などの生活時間を差し引いたら、
あなたの自由になる時間はどのくらいありますか?

出来ない事に取り組んでいる程の余裕はないはずです。

夢を叶えて楽しく生きたいと思うなら、
出来ない事はやらない方がいい場合が多いです。

それがどうしても必要な事ならば
誰かに頼んでもいいし
一切やらない、で通してもいいんです。
これはお気楽系の生き方です。

「出来ないけどやってみる」
「出来ないから努力する」
やってみたくて仕方がない分野なら話は別ですが、
そうでないとすれば、かなり無駄な努力です。

日本人は特に、出来ない事を
やらねばならない!と思い込み
なんとか頑張ろうとする性向を持っているのですが
それは非常に効率が悪いです。
100の努力で1の成果、かもしれません。

もちろん、努力は美徳とすれている面がありますので
これをやることが
むしろ自分を解放するという人は、やり続けると良いのでしょうし
そして修行系の方は、いくら止めてもやるでしょう。

☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆無意識をやめる
 
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これらの事は、どれも悪くないし
どれかが正しいという訳でもありません。
あなたが無意識に判断して行動している事が、
どれに当てはまるのかに気付くことが大切です。

無意識にしている事は
無意識なので、自分では自覚がありません。
ある場面になると
無意識に逃げている方もいらっしゃるし
無意識に戦っている方もいらっしゃるでしょう。

問題なのは「戦っている」ことでも「逃げている」事でもなく、
よくわからずに
「無意識に行動している」ことが一番問題なんです。
自分の言動に気付いていない事が
一番やっかいです。

ですから、自分がどんな言動をしているのかに
まず気付いてください。

そうすると、自分の現在地が分かります。
それで十分幸せならそのままでいいし、
もし不都合があるのなら、どの状態に移行したいのか
自分自身に問いかけ、考え直せばよいと思います。

他にどんな対処方法があるのか
も脳に問いかけるといいです。