全体性って何だろう?

最近私は、自分が持っているツールを見直したり
整理しなおしたりしています。
(付箋の話もその1つでした)

そのなかで
「完全性と全体性」という概念を改めて見直しました。

多分、心理学系の勉強会に参加した時だったと思うのですが、
最初にこの二つの言葉「完全性」と「全体性」を
ある方のお話の中でお聞きした時、
私は類語だと思いました。

使われている漢字が、一文字しか違わないし、
パッと見た時の印象が似ている気がしませんか?

そういう先入観で相手の話を聞いていたので、
なんだか、とんちんかんな気分になりました。

でも、よく調べてみたら
全く反対の事をさしている言葉なのでした。
二つの考え方・システムがあって
どちらにも長所短所があるのだ
という事が腑に落ちると、
これもかなり使えるツールかもしれない、という事が分かってきました。

今夜はブルームーン

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 ◆完全性について
 
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完全性とは、完璧と言う言葉に表されるような、
非の打ち所のない状態を追い求めます。

完全性を目指そうとしたら
劣っているもの、ふさわしくない事、
毛色の違うもの、半端な事などは排除してゆきます。

本当に素晴らしい物、真実、全く正しい事、強い物など、
その時の価値観にあうものだけを探し、残して、
少しでも違うものは切り捨てるでしょう。

そうやってより純粋な
より混じりけのない完璧なものを目指してゆくイメージです

そうすると部分を細かく観てゆく事になりますので
西洋医学を例にすると
肉体の部分についての研究は
時間を追うごとに完璧と言えるほどに発達してゆきます。
ガンを切り取り、血圧を下げ、膝の水を抜きます。

しかし、大元にある「人間」というもの
そして「命」というものを取り落としてしまいがちです。
病気は完全に退治したけれど、病人は死んでしまった
などという事になりかねません。

完全性というのは、西洋的な考え方です。
キリスト教社会では、唯一絶対神がいて
その反面の、悪・闇的なものは悪魔として排除されます。
目的を明確にして着実に近づいていく
目標達成の考え方も、
西洋的な文化から生まれました。

様々な方にお会いしてよく感じるのですが
完璧主義は諸悪の根源です。

自分自身や周りに完璧を求める度合いが強くなればなるほど
自分自身や周りは苦しくなります。

最初は完璧であろうとする事が
モチベーションになることもあるかもしれませんが、
長くは続かないでしょう。
なぜなら、完璧になる事は
生身の人間には不可能だからです。

芸術家が完璧な作品を生み出そうとすると、
命を削ってしまうので
素晴らしい作品を残すけれど大抵は短命です。

常にテストで100点を目指し続けて
それが可能な方も「ほんの僅か」にいらっしゃるでしょうが、
その先に何もない事に気付いてしまうかもしれません。

パートナーに完璧を求めても
自分自身に完璧を求めても、
無理です。
エゴ様の力が増大して苦しくなり、ノイローゼにもなりかねません。
普通の人間が完全性だけを追い求めていると、破綻します。

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◆対して、全体性って?
 
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全体性というのは
全体としてのバランスを求めるあり方です。
ある価値観で何かを取り入れたり排除したりするのではなく、
そのものの存在を支える全てを
全体の中に含める考え方です。

だから何も排除しません。
善悪、優劣、上下、強弱などに全く関係なく、
そこに存在するものをそのままの形で
含めてゆこうとします。
心の影や闇も、全体として自分なのだ
と認めてゆきます。

右足が不調ならば左足がそれをかばうでしょう。
目が不自由ならば耳や直感がそれをカバーして発達するでしょう。
出過ぎる杭は打たれて、全体として平均的なバランスを保つでしょう。

全体性というのは、どちらかといえば東洋的な考え方です。
八百万の神を受け入れている日本では、
悪や影・闇的なものをも含めて均衡を保とうとします。

それは、グループの中で、弱い者も劣った者も含めて全体として
存在することを前提とします。

江戸時代、鎖国の中で文化は成熟したけれど、
進歩発達したものはあまりありませんでしたよね。
全体性の感覚だけだとそうなります。

東洋医学を例にすると
胃や腸というような部分ではなく、
身体全体に流れているエネルギーのシステム・経絡がどのような状態なのかとか、
冷えている部分がどこにあるのか
最近どんな出来事があったのか、
というような事まで含めて
一人の人間をまるごと観ようとします。

病気を悪と考えて闘うのではなく
身体が直そうとしている努力の現れとして
ともかくも、病気と共存していく姿勢です。

このように
全体性を推し進めてゆくと
弱者にも優しい場が出来上がるけれど進歩がありません。

同じ事が繰り返し繰り返し循環してゆき
様々な要因が、混沌とした全体の中に
「なんとなく」存在しているので、
進歩や変化をあまり歓迎しません。

様々なものの区別をあまり明確にしないので、
混沌とした感じになります。
あれもこれも、なんでもアリと言えてしまいます。

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 ◆全体性と東洋
 
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どちらのシステムにも
長所も短所もありますね。
ただ、それを無意識になんとなく使い分けていて、
身動きが取れなくなっている方が
いらっしゃるように感じます。

ならば21世紀に生きる私たちにとって
どんな形がよりよいのでしょうか?

ここでも何度か触れさせていただきましたが
日本人は太古から全体性で生きてきました。
私たちのDNAの中には、それが色濃く刻印されているはずです。

そして明治以降に
新たに完全性の考え方が入ってきました。

完全性の考え方でさえ
日本人は全体性の中に含めてしまいました。
完全性と全体性が対立するのではなく、
全体性の中に、完全性もある
ときにはそちらが表に出る、というあり方です。

でもきっと、これが私たちが生きていく
コツの1つなのではないかと思います。

この仕事は完璧を目指してやろう。
休憩時間は全体性のエネルギーで、みんなで仲良く時間を過ごそう、
資格試験に合格するまでは、完全性のエネルギーで動いて、
合格したら、その資格を使って人をサポートする時にはその人を全体性としてとらえよう…

というように、常に1つの考え方や方法でやるのではなくて、
場面や状況に応じてどちらかを「選べる」
使い分けることで
風通しがよくなるのではないかと思います。

気づき

というわけで、その第一歩は、自分自身が「いつ」「どのような」
エネルギーの使い方をしているかに「気付く」ことです。

この二つの考え方を想定したとき
あなたは普段どちらのモデルで考える事が多いですか?

子どもに対してはどうでしょう?

両親や夫に対してはどうですか?

仕事の場面では?

そして何よりも自分自身に対してはどうしていますか?

どちらにも長所と短所があり
どちらがいいとか悪いとかいう問題ではないことは、
もちろんのことです。

ポイントは、あなたは普段
どのように二つのシステムを使い分けているのかに気付く事です。
気付いてしまえば、そのままでいいのか
変更したいのかを
選ぶ事が出来るようになりますから。