同情してほしい…のは、なぜ

先日ある方とお話していて
「(福本)いずみさんはちっとも同情してくれない。」
と言われてしまいました

あらら…
という感じがしましたが
実はそうなんですよ~
私は「同情」は、しない人だと思っています。

その方が言うには

「人は誰でも辛い事があって、誰かに愚痴をこぼしたりして、
 同情してもらって、まあしかたがないなぁ~と気を取り直して、
 またなんとか生きていくものなのに…

 いずみさんはちっとも同情してくれないし、
 自分の私生活で大変そうなことがあっても、困った顔をしていない。
 軽くて明るいけれど…
 感情がないのでもないし…
 でも同情してくれない。
 冷たいのか優しいのか分からない。」

と言われてしまったのです。

なんというか…
もう、なんというか…

「ちがうやろ~~っっっっっ」

と叫びたい気もしたのですが
言いたいことが沢山ありすぎて
結局、何も言えなくなってしまいました。

気を取り直して
そこから今日は「同情」と「共感」の違いについて
書きたいことをまとめました。

同情について

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 ◆同情という感情
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

同情とは、同じ情と書くように、
相手の情緒と同じものになる
という意味だと思います。
共感は共に感じるわけで、この言葉は同じ事を言っているのでは?
という気がするのですが、違うんです。

同情する傾向のある人は
自分という中心軸が
実のところ、あまり強くない方だと思います。

同情傾向の方が
誰かの辛い話しを聞くと
相手が放っている、なんだか
「ぐちゃっとした重たいエネルギー」に巻き込まれて
相手と同じぐちゃっとした感情に巻き込まれてしまいます。

可愛そうだよな~という気持ちが
恋愛に発展してしまうことさえあるでしょう。

そうすると、今度はまた自分の中にある愚痴が頭をもたげてきて
こちらの愚痴も披露して
こっちの分も、ぐちゃぐちゃと聞いてもらう
というサイクルになってきます。

義理の両親の理不尽な事や
自分の抱えている病気
上司と相性が悪い話し…
子どもが言うことを聞かなくて困っていること…
無限にありますでしょうから
あれこれ話したくなるかもしれません。

どこにも解決策も進むべき道もなく
ただ苦しみや恥、屈辱や怒り、恨みや諦めの中に沈み込んでしまい
そこから抜け出せない自分たちを慰め合う
っていうことになりがちです。

悪いのは社会の制度、会社の上司
両親や親戚、運、家族の誰かですから
自分はその可愛そうな被害者で
同情してもらうべき存在なのだ…。

自分は被害者で
解決策はどこにもなくて
相手が変わらない限り、これらは解決されない。

なんて不運なのか
なんて世の中は不公平なのか、
私はなんて可哀想なのか…

お互いに悲惨な話しを披露しあう状況にあれば
不幸で悲惨なのは自分だけではない
みんな苦しいのを我慢していきているのだ
という連帯感が生まれたりします。

そんな風に同情してもらうと
相手から少しエネルギーがもらえるので
なんとか次の日も生きていける(かも)
と思うことができます。

これはいわば
「被害者同盟」です。

これは言うまでもなく
低い波動のエネルギーになってしまいますが
相手との境界線がハッキリしないので
実のところ、相手との一体感があります。

それは「ぐちゃっとした気持ちの悪い物」かもしれないですが
その繋がる感覚が心地いい
という事さえ、ありうるでしょう。
深い孤独の中にいる時は
そんなものでもないよりはマシかもしれません。

この段階にいる方は
もっと上の、軽くて、明るい世界がある事を
ぜひ知ってほしいと思ってしまいます。
あなたにも、次のフェーズに行く事が可能であり
扉は開かれているのですから。

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 ◆共感は同情と違う
 
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では、共感とは
どういう事でしょうか。

こちらの場合には、芯の部分に「自分という中心軸」があります。
相手と自分の感情、感覚は違うけれど、
相手の気持ちを共に感じ味わう事が出来る。

でも、自分の感情・感覚・考え方は別にありますので
相手に染まる事はない。

仮に相手が
「自分がいかに気の毒な被害者なのか」
という話を始めてしまったとしても
「今のこの人はそうなんだ」という事を受容出来るので
ぐちゃっとしたものに汚染される事もあまりありません。

話してくれている相手が
世の中の不条理に怒り、
消えない悲しみに浸りするのによりそい、共に味わう。
そしてそれは
きっと必ず、いつか光りに通じる道なのだ、と
全く根拠のない信念を
静かに、ひそかに持ちながら共に居ることができるイメージです。

だから不幸自慢にもならないし
被害者同盟にもならなくて済むのです。

そんな風に話しを聴いてもらうと
なぜか癒されるような気がします。

100kgあった荷物(心の重荷)が
どうにかこうにか、90kgくらいになったような気がします。

本当に分かってもらった、という感覚があるので
被害者である自分に酔う事も
なくなっていくでしょう。

美容の世界は怖い部分もありますよね

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 ◆成長の過程
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

人がどのように精神的に成長・進化してゆくのか…
私の考えでは
以前お話した事のある「3フェーズ理論」に当てはめて考えられます。

ゼロ地点があったとして
「同情」するのは「マイナス~ゼロ」までの世界というイメージです。

これはエゴの影・闇に支配されている世界
4つの元型の影が踊る世界です。
これを「第一フォーズ」と考えます。

次に、「共感」するのは
「ゼロ~プラス1」までの世界です。
エゴのプラスの面が現れて、他者とは違う自分という個という発想があり
よりよい自分、よりよい生き方を望んで動く事が出来ます。

これもエゴではあるかもしれませんが
前向きな姿勢があります。
「自分」というものをしっかりと作っていく場所があります。
これを「第二フェーズ」と言います。

その、さらに先に「第三フェーズ」の
「プラス1~プラス2」世界があります。

そこでは起きる事は全て正しく
全てが祝福だという事が体感出来ていますので
何があっても
静寂・平和・愛の自分でいる事が出来るようになります。

今、この時点で
あなたがどこにいてもいいです。
ただ私の願いは、現在位置を確認したら、
更に幸せな世界がある事を知ってほしいのです。
そして、そこを目指して欲しいです。