資本主義システムの外側

みなさん、こんにちは

先日、実家のある栃木県の宇都宮で
そこの、ある私好みの店で、
それはもうステキな刺繍を見つけました。
苗族の刺繍です。

苗族の結婚式の衣装の
カフス部分の布を接ぎ合わせてある小さなジャケットなんです。
カフス部分ですから
20センチ×5センチくらいしかありません。

天然の染料で染めた細い絹糸で、
顕微鏡的な刺繍が全面に刺してあります。

地の布は殆ど見えません。
その文様の見事に美しい事…
何時間でも眺められそうです。

苗族の女の子は7才ごろから刺繍を教わるそうです。
細い細い絹糸を天然素材で染め
気の遠くなるような工程を
丹念に丹念に縫い取るのでしょう。

紫からピンクに染められた糸が
光の加減で様々な陰影を見せてくれます。

その美しさに
思わず、うっとりとしてしまいました。

なぜこんな事を書いているかというと、
最近気になる事があります。

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 ◆昔は資産だった
 
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例えば京都には町屋を保存する団体があって、
手を入れて丁寧にくらしています。

大阪にも似た町屋がありますが、
立て替えるお金がないから
そのまま住んでいる、
というような感じの家が多いように思います。

家は昔、100年持つように建てられていたそうです。

全ての家ではないかもしれないけれど、
ちょとした家はそうでした。

私の祖母の家も
もう茅葺き屋ではないものの、
100年以上経って未だに健在です。

着物も、仕立て直したり染め直したりしてとことん着て、
子供や孫に受け継がれて、
最後の最後まで大切にされるはずでした。

少し前の時代までは、家も服も
大切に使い込んで何代にもわたって受け継いでいくはずでした。

でも今の家は50年持ちません。
日本の家は、せいぜい25年くらいではないかと思います。

服も、10年着る服は少ないですよね。
電化製品など6年たつと
部品のストックを止めるものが多いそうです。

着物も家も、つい100年程前までは「資産」だった。
最近では全てが「消費」するものになってしまった。

消費って、文字通り費やして消えるんですよね。
使って、すぐにダメになって
消えてしまうものになってしまった。

でも、資本主義のシステムというのは、
消費を拡大し続けなければ
倒れてしまうようになっているようです。

だから次から次へと新しい物を購入させ
回転させて儲けるような仕組みになっているんですね。

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 ◆空気のようなシステム
 
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私たち、生まれた時から「資本主義」というシステムの中にいて、
空気と同じように、あまりにも当たり前の事として生きてきました。
私もその中にいたので
消費する事が当たり前の感覚になっています。

こうした「消費するもの」は
手軽で明るくてある種の魅力があるけれど、
どうも薄っぺらい。

つい欲しくなるけれど、いくら手に入れても満足感がない。
だからまた次の物を買いたくなる。

また買って、消費して
つかの間の幻の満足感が消えると、また次の消費がしたくなってしまう。

でもここ数年は不景気になって
お金が減る事の不安の方が前面に出てきています。

でも、資本主義の本質は変わらずにあります。
資本主義って「資本」を「主義」とするっていう事ですから。

こうやって、好景気と不景気のシーソーゲームに翻弄されながら、
私たちは様々な消費財を消費して生きていきます。

人間のテーマは究極はこの2つ

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 ◆伝染病の患者として
 
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私は個人的には
「資本主義」というのは
一度感染したら生涯治る事のない伝染病のようなものだ、とさえ思っています。

感染して罹患している事にすら
ほとんど気づけない。
私たちは全員病気なのかもしれない、と思ったりします。

それで私は時々
「本当に欲しい物は何ですか?」
という質問を人にしたり
あえて自分にしたりします。

でも、本当に本当に正直に言うと、
これまた考えても分からなくなる質問です。

生きていくのに必要なものは、実はごく少ない。
はずです。

でも私たち、
生きていくのに必要なものだけでは、生きて行けないんです。

ただ命を長らえるだけの人生なんて
人生とは呼べない、と思ってしまいます。

悟りの境地がほど遠い私たちには、
生きていくために必要ではないけれど
どうしても欲しい物、必要だと感じるものが沢山あります。

逆に考えてみると
私たちって、何かを作る時には余分に作る傾向があります。

それで、余ったものを他の人にプレゼントしたり
「物々交換」する所から「交易」が始まり、
貨幣が発明され、商売が生まれてきた歴史があります。

音楽も絵画も、様々な芸術や文化、伝統的なものたちも
余った物やエネルギーがあるから生まれてきたものです。

人間って、宿命的に余分なものを作り出すものなのでしょうね。

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 ◆別な価値観
 
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でも、今のグローバル資本主義はうまく機能しなくなっているし、
手軽で明るくてある種の魅力があるけれど
薄っぺらい消費財だけでは満足出来ない方も沢山いらっしゃる
ことでしょう。

このブログを読んでくださる方の中には、
そういう方が多いような気がしています。

こんなものに興味はないですか?

アンティーク
パッチワーク
廃物利用
里山
スローライフ
田舎で農業
手作りの何か
町屋再生
コンポスト
リサイクル
巧みの技
太陽熱発電

こういう物達って
大量生産の工場では作れない物です。

これらは、人の知恵、時間、技、想い、などの結晶だったり、
資本主義のシステムから少しだけ外れた生き方だったりします。

こういう物達と出会ったり、大切にしたりする事で、
資本主義にささやかな抵抗をしているのかもしれないし、
人間らしい生き方、暮らし方を取り戻す試みかもしれません。

今はもう、資本主義ではない生き方は
多分私たちは出来ないんです。

あまりにも深く
資本主義の伝染病に罹ってしまっているので…。

特効薬も治療法もなく
病気とともに生きていくしかないのだろうな、と私は想っています。

ならば、資本主義というものがどういう物なのかを知って
その中で自分の生き方を工夫するしかない。

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 ◆考えていきたいと思います
 
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欲しい物リストを作ろう。
沢山沢山書いて、
それを手に入れたらどんな風に幸せなのか、
どんな気持ちになれるのか、
何が証明出来るのか、
誰に自慢したいのか、
どんな満足なのか、
その感情感覚がどのくらい持続するのか、
欲しくなる物にどんな傾向があるのか、

1つ1つ、正直な気持ちで
ノートに書き出してください。

それがあなたの資本主義病の症状です。

そうしたら
あなたがどのくらい資本主義病に罹っているのか、
少しは自覚できるかもしれません。

私はと言えば
最初に書いた苗族の39万のジャケット、
欲しいな~~~~~~~~
と想っています。

苗族は、資本主義病の症状は
私たちよりも軽いでしょう。

でも、自分たちの結婚式の衣装が高く売れるんだ
という体験をして
お金を手にして電化製品か何かを購入して
もっとお金が欲しくなって
だから売るための刺繍をして…
もっと早くもっと沢山つくれる刺繍に変更して…
商品を作る。

というサイクルにはまりつつあるかもしれないですね。

だとしたら今のうちに、あのジャケットは買うべきなのか…
と想う私は、まだまだ、かなり重症な患者です。

ハートから「感謝」が溢れ出てきたお話