「みんな」を抜け出すとき

誰だって、何かを決めるのは怖いものです。

今日何を着ていくか、に始まって
お昼の定食はどれにするのか、
誘われた飲み会は断るのか行くのか、
ビールは2杯でやめるのか
もう一杯おかわりするのか…

日常生活は決断の連続で
私たちは、どんなに小さな決断も、恐いんです。

・間違えたらどうしよう
・人に何と思われるだろうか
・失敗するのが恐い
・新しい世界に足を踏み入れるのが怖い
・変化が怖い
・人と違う事をして目立つのが恐い

結局はまわりをキョロキョロ見回して、
他の人たちが、どんな行動をしているのかを観察して、
それに合わせる。

「最近は、みんな花柄のチュニックを着ているわね。」
「今日はみんな焼きそば定食ね。」
「A子もビールは2杯までにしているみたいね。」
「私もそうしましょ。」

そうすると、なぜか、ちょっとホッとします。
自分が浮いていなくてよかった、と思います。

☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆安心の発想
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

こういう「みんなと同じなら安心」だという傾向は、
思ったよりも遥かに根深く
私たちの中に入り込んでいると思います。

自分の個人的な好みや考えを出せば
「みんなと同じ」ではなくなってしまう…。
それが怖いのです。

一人だけになってしまうと
安全で安定した場所から
出て行かなければならなくなります。

だから面倒な事は何も考えずに、
空気を読んで周りに合わせる。

あまりにも当たり前に
呼吸するようにそれを子供のころからやっていて
どれほどまで「周りに合わせて」いるのかに
私たちは気づけなくなっています。

☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆『寝ながら学べる構造主義』
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

最近、今までの私なら読まないような本を
随分読んでいます。
最近たまたま読んだ本に
こんな事が書かれていました。

少し長くなりますが、引用します。
内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』 (文春新書)です。

……………………………………………………

同時多発テロ事件のあとアメリカによるアフガン空爆が始まりました。
そのとき「アメリカの立場」から一方的にものを見ないで
「爆撃され、家を焼かれ、傷つき、殺されているアフガンのふつう人たち」の気持ちになって
この戦争を考えたら、随分違った風景が見えてくるだろうという意見が多くのメディアで紹介されました。

中略

戦争や内乱や権力灯籠について、コメントするときに、一方的にものを見てはいけない。
なぜなら、アフガンの戦争について「アメリカ人から見える景色」と「アフガン人から見える景色」は
まったく別のものだからだ、ということを私たちにとって、いまや「常識」です。
しかし、この常識は実はたいへん「若い常識」なのです。

中略

そのような考え方をする人
あるいはそのような考え方を受け入れられる人が
国民の半数以上に達して、「常識」になったのは、ほんのここ二十年のことです。

中略

世界の見え方は、視点が違えば違う。
だから、ある視点にとどまったままで「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」と
主張することは論理的には基礎づけられない。
私たちはいまではそう考えるようになっています。
このような考え方の批評的な有効性を私たちに教えてくれはのた構造主義であり
それが「常識」に登録されたのは四十年ほど前、1960年代のことです。

……………………………………………………

筆者はベトナム戦争の例も出していて
その当時「アメリカ人から見たベトナムの風景」と「ベトナム人から見たベトナムの風景」は
違うというようなことは
ほとんどアメリカ国民の脳裏には浮かばなかったそうです。

アメリカだけではなく
世界中の人たちがそういう自国が絶対的に正義だ
と思わなかった国はないと言います。

☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆第三チャクラ以降
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

で、何が言いたいのかと言うと

視点を変えて
相手の立場で何かを考えたり感じたりする事が出来る、

という能力は
チャクラで言うと、まず第三チャクラがしっかりとしてからでないと、
得る事の出来ないものです。

忘れている方もいらっしゃるかと思うので、
ごく簡単にチャクラについて解説しますと…

チャクラは身体の中心軸に添って配置されている
エネルギーの取り入れ口です。
普段は主に7つのチャクラを扱います。

・第一チャクラは尾てい骨の前あたりに位置します。
・第二チャクラはおへその下。
・第三チャクラはみぞおち。
・第四チャクラはハート
・第五チャクラは喉
・第六チャクラは眉間、
・第七チャクラは頭頂にあります。

私たちは
下のチャクラから順番に発達進化していきます。

赤ちゃんの時代は
まず第一チャクラ、集団の力を学びます。

小学生を中心に
第二チャクラに移行し、他者と自分との一対一の関係が始まります。

思春期は第三チャクラのテーマです。
自己を確立する時期です。

感情を司る第四チャクラ以降は過去
あまり使われてきませんでした。

チャクラは私たちが進化してゆく地図の働きをしています。
それは、人類全体の進化にも当てはまります。

自国の利益のために戦争を起こすことが出来るのは、
第一チャクラと第二チャクラ、そして第三チャクラの初期までのはずです。

個人の事に言い直すと
自分の利益のために
人と争ったり自己主張したり出来るのは
第一チャクラと第二チャクラ、そして第三チャクラの初期だけのはずです。

つまり、第二チャクラから第三チャクラ後半への
地球規模での進化が
1960年代を中心とした時期にあったということになります。

時代の動きもそうだし
私たち個人もそれに添った進化をしているのですね。

上記の引用の一番初めの
同時多発テロ以降のアフガン空爆へのコメントは、
第四チャクラに移行しつつある私たちの言葉だな、と思います。

第三チャクラ以降

☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆だから、今は…
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

時代は第四チャクラを活性化させる方向に向かっています。

こころの時代、と言われるのもそれを示しています。

ある程度のエゴ・自分というものを
第三チャクラで確立させていなければ
第四チャクラで
他者の存在に本当の意味で心を開いていけません。

ただし、

私たちの多くはまだまだ
それ以前に「みんなと同じがいい」という第一チャクラの呪縛にとらえられています。

第一チャクラは強烈ですから
「みんなと同じが安心」から抜け出すのは、
本当に恐い事です。

それが正しいとか
それが効率的だとか
それが心地よいとか
それが公平だとか
それが未来のために好ましいとか
それがみんなの幸せに繋がるとか

そういった価値判断と全く関係なく
「みんながそうしているから」という
理由だけが力を持っているんです。
これは恐い事です。

先に引用した言葉、

……………………………………

同時多発テロ事件のあとアメリカによるアフガン空爆が始まりました。
そのとき「アメリカの立場」から一方的にものを見ないで
「爆撃され、家を焼かれ、傷つき、殺されているアフガンのふつう人たち」の気持ちになって
この戦争を考えたら、随分違った風景が見えてくるだろうという意見が多くのメディアで紹介されました。

……………………………………

これですら、「今はみんながそう言うから」
アフガンの人たちの気持ちになるのがいいんだ
と思っている人が沢山いるはずなんです。

そのときに
キョロキョロしている自分に気づいて下さい

自分の決断で何かを決めて、その責任を引き受ける。

って、並大抵の事ではないし
実は全くオリジナルの「自分の決断」などというものは存在しません。

誰かに聞いたり、どこかで読んだりして
知識として入ってきた事の中から
あるいはそれらの情報を組み合わせの中から
自分らしいと感じられるものを選んでいるだけです。

そこまで言うと身もフタもなくなるし
哲学っぽくなっていくので、この辺で止めておきます。

が、だとしてもやはり
「みんなと同じなら安全だ」という思考から自由になって
自分の望む道を探して、それに従って歩んでいくのは本当に「恐い」のです。

今までとは違う言動をするあなたを
ともかくは「みんな」は引き留めようとするでしょう。

家族や同僚、友人達が。

それを振り切って、失敗するかもしれないし
間違うかもしれないけれど、
「みんなと同じなら安全」な世界から一歩を踏み出して
未知の世界に分け入って行くのは
誰だって、本当に勇気のいる事です。

ですけども、多分
この文章を読んでくださっているあたなは今、
「みんなと同じなら安全」な
世界から踏み出そうとしているのでしょうね。

今日どの服を着るか
お昼には何を食べるのか
アフターファイブの付き合いはどうするのか

日常の小さな決断の全てに、疑問を持って下さい。
「みんなはどうしているのかな?」と
キョロキョロしている自分に気付いて下さい。
みんなと違う事をしようとして
怖れを感じている自分にも気付いて下さい。

それを変えようとせずに、ただそういう自分に気づいていて下さい。

自分に気づいて