自力、他力、共生

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

お手紙

たまにお客さまから「ものばかりに頼ってもダメだとは思うのですが」という言葉と一緒に
注文が届くことがあります。
分かるような、何かひっかかるような気がするのです。

そこから連想すると、こんな感じになるんですね。

物に頼るばかりではだめだ。
自分で努力しなきゃ。
依存は良くない。

これらの言葉を感じ、体に響かせてみてください。
そして、体でその感覚を味わってください。

とても重いし、窮屈でガチガチな感じがしませんか。

それでは今度は逆。

私は何にも頼りません
私は自分で努力します
私は誰にも何にも依存しません

それを体に響かせ、感じてください。
どんな感覚ですか?
これは人それぞれかもしれません。
勇気が湧く、やる気があふれてくる
達成感を感じる、という方は
意外に少ないのではないでしょうか。

強さ、というよりも孤高という言葉がぴったりな気がします。

本当はそんなものを求めてはいないのに
私たちはまるでそこが一番理想であるかのように話します。

おそらく、自立とか自己責任、という言葉が市民権を得て
強さ、自由さなどが理想的なものとして捉えられるようになったので
余計に頼ることを拒否するのかもしれません。

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 ◆私たちの願い
 
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けれど、私たちが本当に求めている者、それは
「共生」ではないでしょうか。

決して西洋的な孤独や孤高ではなく、
古い日本文化のようなしがらみだけの付き合いではないはずです

もし「それは違う」と思う方は、スルーしてください。
ここでは同意があったとして続けますね。

では、「共生」して良い人間関係を作っていくためにはどうするべきでしょうか。
依存ではない、自己責任でもないあり方・・・。

つらつらと考えていて浮かんだのが「自力と他力」というものです。

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 ◆自力と他力
 
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この頃、過去を振り返る機会があったのですが
その時にふと気づいたのです。

以前もここでお話したと思うのですが
私はみんながみんな自立すべきとは思いません。
自立をテーマに持って生まれた人はそれと向き合う必要があるけれど
自立せず依存する、をテーマに持って生まれた人もいます。
それはそれでいいのです。

私は自立というテーマを強く持って生まれたようなので
強い女になってしまいました。
で、一応自立している風な生活をしています。
でも、考えてみれば大変な状態からここまでやれたのは
他人の力を多く借りたからだと思うのです。
自力より他力のおかげでした。
一人で走り抜けたように見えて
実は誰かがいつも手を引いてくれていたことを思い出しました。

サポートを受けている自覚はありましたが
思うよりももっと頂いていました。
ある時は友の姿で
ある時は偶然のように
ある時は裏切りという形として

他力で自立、何とも矛盾しているように見えますが
そうとしか言えない気がしています。

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 ◆「共生」するために
 
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共生

私たちの心臓を動かすのは
脳とか筋肉とかではなく
高次元の何か、だそうです。
あるドクターから、体の中には実は心臓を動かし続けるような機能はないのだ、と
伺ったことがあります。

私たちは根本、他力で生きているのです。

う~ん、まとまらないですね。
もっといい表現ができるようになったら再度トライします。

私たちは、ただただ怠けたい時もあるし
必死に頑張っている時もある、
ただ淡々と何かをこなすだけの時期もあります。

ちっともうまくいかなくて凹んでいる時
努力が実って喜んでいる時
やっぱり他力の上に立っているのです。

依存している時も依存させている時も
責任放棄して逃げている時も
見えない存在という他力に守られているのです。

見えない高い存在という他力
仲間からの他力
義務でもなんでもない仕事を自らやる心意気
与えられたことを淡々とやる自力

そんなバランスの上に「共生」という社会が成り立つのだろうと思います。