人生は修行であり、苦しいものであるというまやかし

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

人生は辛く苦しい

生きるって、すごく大変で苦しい。
そんなふうに感じたことはありませんか?
確かに楽あれば苦あり。
それに

人生が苦しいのはそれが修行であるからだ

なんて言いますしね。
それなら仕方ないとガマンしようとするんです。
でも、それはちょっと違うと私は思っているので
今日はそれについての意見を述べてみます。

☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆エゴが苦しみを生み出す
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

ハッキリ言いきってしまうと、人生は苦しい、ではなく、
私たちのエゴが苦しい人生にしてしまっているのです。
以前ご紹介した図を覚えているでしょうか。

図の「勇気」よりも右に行くと、「苦」はどんどん減少していきます。
苦痛がまず減りますし
少々のことに動じなくなるのです。
「勇気」より左にいると、何でもが苦痛に感じてしまうのです。
または、あれこれ受け入れがたくて苦痛だらけになっている状態。

成長と、人生が楽になるのはイコールでつながれています。
しかし、ここで勘違いをする人がいるんです。

苦労と努力があってこそ何でも身につくのだ
楽して得るものはない。
苦しみに耐えてこそ成長するのだ。
この苦しさは浄化ゆえ、ひたすら耐えよう。

確かに人は苦労して成長することはありますが、
そして楽得、なんてほぼありませんが、
それとは少し違うんです。
人を苦しめる現況、それがエゴなのです。
エゴに振り回されるから、私たちは
人生を辛く苦しいものと感じるのです。
振り回されなくなると、どんどん右寄りに移動しますから
人生は楽になります。
この図はある意味、今あなたの人生がどれくらい辛く苦しい状態化を表すものです。
いろいろなケースがありますが、通常は苦しさにひたすら耐える必要なんてないのです。
苦しいのは、間違っているから。
例えばこの人と付き合うのは辛い、嫌だと思うとしたら
無理せず付き合わなければ良いのです。
きちんと断ればいい、ただそれだけ。
でもそうそう簡単にはいかないこともありますよね。
グループにいられなくなるかも、とか、相手が傷つくかも、とか
悪口言われたらどうしよう、人間関係が悪くなるのは嫌だな、
だから無難に付き合う。
それが苦痛な訳です。
断る方法がない訳ではないですが、それは一旦置いておいて。
いい子でいたい、というエゴのせいであなたは苦しいのです。
例え耐えたところで、成長など何もありません。
苦しさが不幸を呼び、体調不良になってしまったり・・・。
それで体を壊したら、浄化からは程遠い状態となりますよね。
体が「助けて!」と言っているのです。
嫌なことを我慢して忍耐力を付けても、目つきが悪くなるだけです。
役には立ちません。

☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆難しいことなのです
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

例えば、何かをする時。
難しい、すぐにはできない、心してかからねば。
そう思い込む人がいます。
熱心なのはいいのです。
軽く見るよりは気合を入れた方がいいだろう、という声もあります。
でも、「難しい」という言葉が未来を作り
自分があえて苦労への道を歩むようにしてしまっています。
必死に頑張って頑張りぬいて、「すごく大変だったけど、やり切った!できるようになった!」と自信を持つでしょう。
でも、そこには残念ながら無駄な努力がいっぱいです。
そういう人は、昔すごく頑張ったことが多くて、ああなってこうなるから
やっぱりこれはうまくいかないんだ、という思い込みがあったりします。
人はできても自分は特殊な事情があるから無理と思っていることもあります。
思い込みが強いので、当然うまくいきません。
私に言わせれば、特殊な事情なんてありません。
それぞれに人には事情があるからです。
特殊な事情は、平凡と同じと考えています。

こういうタイプがいわゆる「苦労性」なのです。
自分で苦労を呼び込み、しょい込みます。
少し考え方を変えて目が向く方が変われば
今までとは変わってくるのですが
残念ながらこのタイプはあまり話を聞いてくれない傾向にあります。

話を聞かない!

☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆
 
 ◆修行というものについて
 
☆。.:*.。…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─….*:゜。☆

それから、修業は苦しいというのも思い込みです。
お釈迦さまは、苦行では悟りを開けないことに気づき、そこから苦行を捨てて悟りを開いたお方です。
そもそも修行というのは、苦行とは違うもの。
学ぶという意味で使われるものなのです。
私が言う修行は、「成長して幸せになるために、自分の中のエネルギーをあらゆる方法で浄化すること」です。
だからこそ、修業は楽になるために行うものという位置付けです。
嫌なことがあっても、それは通過点に過ぎないのです。
無理してあれこれガマンしすぎると負のエネルギーが増えてしまい、逆効果となりますよ。

今日の私的結論。
エゴに振り回される人生は苦しいもの。
だから、それを減らし、浄化を増やせば楽になる。
苦がなくても楽はあり、それを修行とする。
以上!