アグラ旅行記4・ガンディー記念館

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

またまた旅行記の続きです。

正味3日間しかないミニ旅行で、
様々な顔があると言われている重層的なインドの、
うわべだけをチラリと体験して来ただけなのですが、

 例えば、スリにあっていないし、
 荷物を取られそうになっていないし、
 強烈な物乞いにもあっていないし、
 下痢もしていない。

そのうわべの部分も「インド」の一部だよなぁ、と思います。

などと思いつつ、今日はデリーの「ガンジー記念館」のお話です。
アグラ旅行記、と言いながらアグラの話はほとんど出てこないんですが(=^・^=)

アグラでの仕事を全て済ませて、
3日目の午後にデリーに戻りました。

前日にデリーで爆破テロか何かがあったそうで、
ガイドさんと運転手さんは、予定通りにデリーに戻れるのか、
とても心配していました。

最悪でも22時までに空港に到着すればいいので、
私たちはのんきなものです。

道は混んでいたけれど、デリーで何か見られるとのことで、
私の独断で「ガンディー記念館」を選びました。
私はガンディーにとても興味があるのです。

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ガンディーのことを知らない方もいらっしゃるかもしれないので、
簡単にご紹介しますね。

ガンディーは、通称マハトマ・ガンディーと呼ばれています。
マハトマとは「偉大なる魂」という意味で、ガンディーの尊称です。

子供時代にはそうとう悪いこともしていたらしいですが、
南アフリカで弁護士をしている時、白人ではないという理由で差別を受け、
それがきっかけとなり、インドにもどってインドの独立運動を指揮しました。

ガンディーは「非暴力、不服従」を提唱し、インドを独立に導きました。
インドとパキスタンの分離独立前後に宗教的な暴動が多発した時には、
一切の暴力を否定して、暴力の代わりに断食をして抵抗したことでも有名です。

78才で射殺された時に、ガンディーは自らの額に手を当てたのだそうです。
それは「あなたを許す」という意味の動作なのだとか。

その射殺された現場がここ「ガンディー記念館」なのです。

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庭

ガンディー記念館は、お金持ちの別荘だったのだそうで、
ガンディーは140日ほどそこで暮らし、射殺されました。
この付近も緑が多くて美しい気持ちのよい場所ですが、
門を入るとまた空気が変わります。

スッキリとしたまっすぐな、清浄な波動です。
この敷地内にはどこにも陰がないのです。
それでいて眩しすぎるわけでもなく、
邪念があっても全てを許して受け入れてくれる包容力もあります。

ガンディーが歩いた道

毎朝ガンディーが建物から出てきて、歩いた道。
その道には、あるいた足裏を模した石がはめ込まれていました。
そして美しい芝生の向こう側に立ち、集まった人々にお話をした場所。

もうすぐ閉まる時間だ、というので慌ててガンディーが暮らしていた建物に入ると、
ベッドと杖やサンダル、ガンディーの質素な持ち物が在りし日のままに展示されていました。
ほとんど何もないのです。

部屋

人が暮らしていくには、このくらいの所有物があれば十分なのですね。

そして壁にかけられた額

メッセージ

「My life is my message」

この言葉がハートを直撃しました。
口の中を噛んで、泣いてしまわないように頑張りました。

「私の人生が私のメッセージです」

こんな風に言い切れる生き方。
しなやかで強いまっすぐさ。

そして本当に時間がなくなり、
ガンディーの写真や歴史をパネル展示した廊下をささささっと歩いていくと、、、、

ある写真に出会ってしまいました。

ガンディー

ガンディーが白い布を腰に巻いて、上半身は裸で、
杖を持って歩いている後ろ姿。

小走りに通り抜けながら、その写真から来る高い波動に、
私はクラクラしてしまいました。
気高いのです。
生身の人間が、これほどの気高さを持つことが出来るのでしょうか、、、

ただただ感動して、
ただただ嬉しくて、
涙が止まりませんでした。

ガイドさんが言うには、これは人気のある有名な写真なのだそうです。
おそらく1940年ごろの写真ですから、
画質は悪くぼやけていますが、
ガンディーの魂の美しさが十分に溢れ出しています。

これを書いていても、思い出すだけで私は泣けてしまいます。

「My life is my message」

そんな生き方には遠く及ばない私ですが、
ガンディーを 思うと魂が震えるのです。
ガンディーが歩いた道の、ほんの小さな一歩でも近づけたら、、、と思います。