背中を押される時、逆に押し戻される時

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

何かにトライしようと思う時に、背中を押される時、そして押し戻される時がありますよね。

押されている時は何の障害もなく前に進みます。
神さまが邪魔者を全部排除してくれているようです。
これ、というタイミングでどんどん先に進めてしまい
最高の気分でしょう。

常にそうだとうれしいのですが、そうもいきません。

背中を押される時

それでもふと「こうしなさいと言っているのだな」と分かる時があります。
神々に応援されているのが分かって、
やる気満々になれます。

スピリチュアルに興味が行き始めると
神の存在と加護を感じますし、
感じたい、と思えるでしょう。
そして、神が望むことに従おうという気持ちになります。

自分にできることは精一杯やりたいし、
神々に協力できるのならそうしたい、と思いますね。

ですよね?

だからこそ、神の意思を感じる時や、何でもうまく行く時はどんどんやれ、と言われているようでうれしくなります。

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 ◆ストップがかかる時
 
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逆に、何もかもがうまくいかない時があります。
邪魔ばかりはいる時ね。

出ようとすれば電話で足止め、訪問者で足止め。
興味のある方向に進めば家族の反対にあう。
あれが欲しい、と買いに行ったのに売り切れ。

あるあるですよね。

でも、そのおかげでラッキーだったということもあります。
事故を免れたり、たまたま会った人と良いつながりができたり
買おうとしたもの以上に良いものに出会ったり、などなど。

こういう時は物事がトントン拍子に進むので
「ストップがかけられたんだ」とむしろ感謝することができるでしょう。

分かりやすいのがいいですよね。
こういった事は比較的短時間に次の展開になるので、

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 ◆どうにもならないほどの妨害
 
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そのどちらでもない時があります。

随分前の話ですが、ある冬の日、私はある先生のもとを訪れようと思いました。
その先生は京都の山奥に住んでいて、バスでしか行けません。
しかし、前日から雪になり、ダイヤが乱れて大変なことに。

一応バスは動いているようでしたが、ダイヤ通りの運行ではなく、
バスがいつ来るかも分からないという状態。
そもそもが1時間に1本しかないのに、です。

その時はタクシーも全滅だったのです。

止まない雪の中で30分ほど待ちましたが、バスの影もなし。
(今思うと、雪の日に山奥行きのバスなんて、早々に運休ですよねぇ・・・)

それでも先生に連絡を取ると、途中まで迎えに来てくれるとのこと。
私も途中まで何とか来てほしいと言われ、比較的本数が多くて
途中まで行けるバスを探して別のバス停に歩いていきました。

幸いバスは動いていて、行けるところまでひたすら行って降りたのですが。

ちょこちょこ家が見えるだけで後は銀世界。
他に何もないのです。

心配でした。

もう帰れないかも、とか遭難するかも、とか
いろいろ妄想してしまいましたよ。

それからしばらくして先生の車が見えたのですが、
山の中はふぶいていて、相当な時間を要しました。

通常20分弱の道のりが、何と1時間。

しかも、自分の居場所を一生懸命説明してもうまく通じず、
先生の車に出会うまでにかなり時間がかかりました。

私は芯から冷えて
予定していた時間から3時間遅れで
先生のお宅へとついたのです。

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 ◆なぜそこまでして?
 
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後で考えれば、あの雪では諦めてもよかったんですよね。
大雪警報まで出ていたようですし。

「今日は行くな、と言われているのかも」と普通は思いますよね。
その日行かないと死んでしまうというようなこともなかったし、
普通は空を見ながら、家を出る前に考えるでしょう。
そして、タクシーも動いていない上に頼みのバスが来ない時点で諦めるでしょう。

途中までバスにのって、銀世界で一人ぼっちになった時も
不思議とやめようとは思わないし、やめろと言われている気もしませんでした。
ただひたすらに、「今日行くと決めたのだから、行く」と思っていたのです。
どうやったら行けるかをただたどっていったのでした。

もちろん、先生のお宅で受けた教えは素晴らしく、行った甲斐は多分にありました。

あの日は一体何だったのか、と思いますが
普段ならばまず行けないであろうあの状態だったのに、
神のサポートがあったから行けたのだと確信しています。

私は、先生の所に行く理由があったのです。
絶対に行くと決めていたので、
どんな状態でも悲劇のヒロインにもならず
ネガティブにもなりませんでした。
だから、たどり着いたのでしょう。

あの時、そこまで思うほどでなかったら、きっと「やめろって言われてる」と判断し、ストップをしたでしょう。
行きたくない気持ちが少しでもあったのなら、これはもう行けないな、とどこかでうれしく思った事でしょう。

ひどく妨害されていると感じる時には、
実はどのくらい本気なのかを確かめられている気がします。

妨害されたから、これはやめろということだと思う前に、
自分は本当はどうしたいのか、を問うことが大事だと感じます。

自分の意思があいまいなまま神の導きを受けようというのはダメなんですよね。

まず意思を決定し、それに対して神が背中を押したり、押しとどめたりするのです。
そうでないと、人として地球に降り立つなんていうことはしないですよね。

ここで最初に戻り、読み直してみてください。

ここがポイント

神々が背中を押してくれるのは本当にうれしいことですが
それは自分の強い意志があってのことです。

それがあるから流れにきちんと乗れるし、
周りに流されずに済みます。
自分で決めずに神に助けてもらおうとするのは、ただの甘えです。