「なぜ私だけが苦しむのか」という本

こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

おもしろいな

「なぜ私だけが苦しむのか」、ユダヤ教のラビが書いた一冊です。
自分もいろいろ大変な苦しみを味わい、そして教会に来る人も同じ状態。
そんな人たちの力にどうやってなるべきかということに正面から向き合い
考えた内容になっています。

私たちもきっと「どうして自分だけ・・・」
「何で私ばかりにこんなことが・・・」
そう思うことがあるでしょう。

あなたもそうですよね。

悪いことをしているのに平気な顔をして生きている人もいるのに
一生懸命真面目に頑張っている自分がどうして。

そう思ったことがあるでしょう。

そんな方は、これを読むと何か感じるものがあるかもしれません。
(本来一人だけが苦しいというのはないのですけれどね)

でも、まずは西洋社会の「一神教」という前提を知るべき。
これがないとよく分からないまま終わってしまいます。

私ばっかり

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

ユダヤ教、そしてキリスト教は、旧約聖書を大切にしています。
聖書の記述を重要なものとして考えていますので
その記述の解釈法を何百年も研究し続けている組織もあるほどです。
自分勝手に解釈するものではない。
記述についてどう考えるかで「〇〇派」と呼ばれるものが出来てしまうこともあります。

私はあまりユダヤ教について詳しい訳ではないのですが、彼は苦しみの中で
新たな解釈を考えるのです。
そういう考え方をすでにしている派もあるかもしれませんが
著者は、自分で考えることによりある結論にたどり着いたのです。

やはりなじみ深いのは東洋系の宗教である私には
ここまで1つのことを問い続けるという姿勢に驚きを覚えます。
一神教の社会はそうあるようです。
突き詰めて、徹底して考察します。

哲学も、西洋から生まれた学問…納得です。

日本人であれば、何事もそのままそっとしておこう、という感じですが
彼らは徹底的に追及し続けて行くのです。

一神教の世界では、地球や人類を作りだしたのは絶対的な存在である神、という考え方をしています。
ですから、なぜそんな絶対的存在がこのような状態を作ったのか、と悩むのです。

でも、多神教の文化では、これは作りだしたではなく、できちゃった、なのです。
古事記を読むと納得できると思います。
できてしまった人類や地球には「生老病死」という苦しみがあって。
それが何とかならないのだろうかと考え、お釈迦さまが修行に入ったんですね。
おして悟りという解決策が生まれてきたのです。

一神教なら答えが出ない問いかけも、多神教ではそのままにして、そこからスタート。
一神教の社会は、その答えを徹底して求めに行くけれど
多神教の社会は、ありのままを受け入れ、矛盾していても気にしない。
そのため、鋭い質問が出ないし、いつまでも問い続けて行くことがないのです。

どちらが優れているなんてないけれど
違いを頭に置いて読めばかなり面白いです。