人との距離感・・上手にとれていますか?

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こんにちは、フェアリーブルーの福本いずみです。

人との距離感・・上手にとれていますか?
境界線の感覚って人によって違うので、なかなか難しいんですよね。

今回は、「境界線」について考えてみようと思います。
 
まず最初に、私たちの成長と一緒に考えてみましょう。
 
 
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(1)「ごった煮一体感」の時代

 赤ちゃんのときは、自分と母親の区別がありません。
 また、周囲の人々や、環境との境界線もないでしょう。
 「個人」というものが、まだよく分かっていないのです。

(2)「分離」と「自立」

 「個人」の概念が生まれてきます。
 4~5歳くらいで自我が芽生え始めます。
 思春期には、親から離れて、自分自身を作っていくことがテーマとなります。

 自分と他人は別の人間である、と意識することで、「自立」していきます。

(3)「一体感」と「共存」

 「ごった煮一体感」と似ていますが、まったく違うものです。

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(1)と(2)は言ってみれば両極です。
この両極を体験しないと、(3)を理解することはできません。

(3)の「共存」は、ごった煮ではなく、個人は個人として存在しています。

ですが、お互いの間の壁がなくなり、補い合い、協力しあいながら
生きていくことができるようになるのです。
 
 
また、個人だけではなく、社会も同じような成長をたどっています。

未開社会は(1)であり、集団は集団として暮らしています。
子供も集団の子供として育てられ、個人よりも集団の意志が尊重されるでしょう。
主に、村の長や年長者などが、すべてを決定します。

日本でも、江戸時代まではこのような感じでしたね。
「お家」がすべて、仕事は生まれた時から決められていましたし、
結婚相手も自分で選ぶことはできませんでした。

明治時代になると、(2)の「個人」「自立」という概念を
考えるようになりました。
これは、西洋文化が入ってきたためです。
 
 
国家などの大きな集団も同じです。

権力者が国民のすべてを支配している状態から、
革命などを経て、分離・独立が認められるようになります。

そして近年では、「地球全体」を視野に入れた考え方や、
「宇宙船地球号」「ガイア理論」などが出始めました。

おそらく、この「地球全体」への意識は、今後ますます高まっていくことでしょう。
そして、最終的には、地球は一つになっていくのだと思います。
 
 
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さて、話を戻しましょう。

(1)の「ごった煮一体感」から(2)「分離」「自立」に行くとき、
私たちは他人との間に、境界線を引き始めます。

境界線とは、「ここからこっちには入らないでね」というラインです。

自分のおやつを友達に食べられてしまったり、
部屋の引き出しを、親が勝手に開けていたり、
日記を読まれてしまったり、
興味のない本やCDを、友人に押し付けられたり・・

こんな、「何だか嫌だな」という感じは、
誰でも体験したことがあるでしょう。

それは境界線を越えた「侵入」なのですね。

赤の他人の場合はある程度は法律で定められていますから、
大きなトラブルも少ないでしょう。
困るのは主に、家族や友人などの身近な人の場合です。

「○○するときは、一度私に聞いてからにしてください」
「勝手に○○しないでください」
「それは、私が決めることなので、あなたが口を出すことではありません」

はっきりそう伝えられればいいのですが、
日本人はこういうことがとても苦手です。

嫌われるのではないか、その後の関係がぎくしゃくしてしまうのではないかと心配して、
つい、口をつぐんでしまうのです。

ですが、それはやはり「侵入」なのですよね。

「自分は、そういうことがとても嫌なのだ」ということは、
言わないと相手に伝わることはないでしょう。

自分を守るためには、やはりきっぱりと伝えた方がいいと思います。
自分の意志を伝えることは、あなた自身を大切にすることです。
そして、あなた自身に対する責任でもあるのです。
 
 
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そして、相手にされたことだけではなく、
自分が相手の境界線を越えすぎてしまった場合は・・

「やりすぎた~~~・・」と感じたときは、相手にしっかりと謝りましょうね。

行き過ぎた「侵入」は「愛」ではないのです。

家族の携帯メールを勝手に見てしまったり、
友人の休みの日に、勝手に予定を入れてしまったり、
目に見える「やりすぎ」は自分でも分かりやすいと思うのです。

だけど、心の境界線についてはどうでしょうか?

たとえば、あなたの友人が困っていて、とても辛そうなとき・・

家を買うための貯金をを崩してまで、お金を貸してあげてしまったり、
良さそうなカウンセラーに無理やり紹介してみたり、
自分の仕事を休んでまで、親身になって尽くしてあげたり、
病気の家族に、嫌がる薬を飲ませてしまったりしたことはありませんか?

それは、「愛」ではないのです。

「侵入」であり、「コントロール」です。

「相手のため」を言い訳にして、境界線を無視してしまっているんですね。

なんとかしなければならない、緊急事態もありますし、
境界線も目に見えない曖昧なものですから、誰もが何度も間違えることでしょう。
それは、仕方のないことです。

ですから、そのたびにしっかり自分を振り返って、
「それは本当に愛だったか?」
「境界線を越えてはいなかったか?」
確認していくことです。
 
 
そして、どうして相手の境界線を越えてはいけないか--・・

それは、私たちは誰もが、自分の責任は自分でとらなければいけないからです。
誰かが肩代わりしたり、誰かのせいにしたりできるものではないのです。

幸せになることは相手自身のテーマですから、
あなたが相手の行動を決めてあげる、考えてあげる必要はないのです。
 
 
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「自分の人生に責任をとる」ことと、「他人の責任を引き受けない」こと。

その2つを忘れてしまったとき、境界線が崩れます。

境界線を考えながら行動を始めると、相手には「冷たい人」と感じられることが
多くなるかもしれません。

「水くさい人」だと思われることもあるでしょう。
寂しさを感じる人もいるでしょう。

ですが、本当の「愛」はここから生まれてくるものです。
「信頼」も深まっていくので、最終的には、相手との距離は縮まります。

そして、(3)「共存」に至るには、このプロセスが不可欠です。

境界線が上手に引けるようになってきたとき・・
逆説的ですが、境界線はいらなくなるのです。

そこでこの世界のすべてに「一体感」を感じることができるようになるでしょう。

世界が輝いて見えるようになりますよ。